津島神社

2014年3月4日神社

津島神社は、愛知県津島市に鎮座する、全国3千の「津島神社」の総本社です。古くは「牛頭天王社」といわれ、京都の八坂神社と並ぶ天王信仰の中心でした。能人形を飾った華麗なだんじり船が出る天王祭は「日本三大川祭」の一つでもあります。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神 【主祭神】建速須佐之男命、【相殿神】大穴牟遅命
所在地 愛知県津島市神明町1
交通 名鉄津島線「津島駅」から徒歩約15分
東名阪自動車道「弥富IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 神社南門前に舗装駐車場(収容台数:60台)、東側楼門前に玉砂利敷の駐車場(収容台数:40台)あり。ともに無料。東側楼門前スロープの両脇に身障者用駐車区画(4台)あり。
URL
連絡先 津島神社 0567-26-3216

歴史・由来

津島神社は、愛知県津島市に鎮座する建速須佐之男命を祀る神社で、全国に3千もあるといわれる同名の「津島神社」の総本社です。

社伝によれば、韓郷の島(朝鮮半島の新羅国という)に渡った建速須佐之男命が日本に戻る際、いったん日本海の対馬に鎮まった後、欽明天皇元年(540)に津島付近に移り、弘仁9年(810)に現在地に遷座して嵯峨天皇より正一位の神階と「日本総社」の称号を贈られたといいます。

中世にはインドの行疫神である牛頭天王(ごずてんのう)とスサノオが習合して「牛頭天王社」とよばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王信仰の中心となりました。

尾張を拠点とする織田信長は、津島神社を氏神として崇敬し、社殿の造営などに尽力しており、神紋の木瓜紋は織田家の家紋と同一であるほか、豊臣秀吉は国の重要文化財となっている楼門を寄進し、子の豊臣秀頼も秀吉の病気平癒を祈願して南門を寄進しています。また、本殿は徳川家康の四男にあたる清須城主・松平忠吉の妻が寄進したものであり、桃山建築の伝統を残すものとして国の重要文化財に指定されています。

江戸時代には津島神社の御師(おし)たちが全国を回って信仰を広め、「津島参らにゃ片参り」としてお伊勢参りとの両参りの風習も生まれたことから、社頭は多くの参詣者でにぎわい、『尾張名所図会』などの地誌にもしばしば取り上げられました。

また、津島神社の神饌からできた米粉を練って油で揚げた「くつわ」や「あかだ」といった縁起菓子は、疫病除けになるとして江戸時代から津島名物として参詣者の間に定着するようになりました。

夏に行われる「尾張津島天王祭」は、『浪合記』にある後醍醐天皇の曾孫・良王君(よしたかぎみ)にちなむ行事とされ、大阪天満宮の天神祭、厳島神社の管絃祭とともに「日本三大川祭」といわれます。能人形を飾った鮮やかな車楽船(だんじりぶね)が天王川に浮かぶ壮麗なこの行事は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の構成資産の一つとして登録されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】津島神社正面にあたる南門前。舗装駐車場があるが門は階段につき東側「自動車清祓所」方面へ迂回。
【2】南門の右手に玉砂利敷の外周通路。降車した場合はここから車椅子で東側の楼門へ。
【3】東側楼門前。道幅は広くないが車で門前まで行ける。門は階段だが脇にスロープと身障者用駐車場。
【4】スロープを上がると境内は玉砂利敷で平坦。本殿裏手の摂末社を含め大きな段差はない。
【5】津島神社拝殿。正面の賽銭箱前までなだらかに段差なく移動できる。





境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 授与所 荒御魂社 下神饌所 神庫 稲荷社 八柱社 宝物庫 模型船庫 休憩所 弥五郎殿社 南門 トイレ 照魂社 和魂社 柏樹社 社務所 楼門 鳥居 宝寿院:元の神宮寺 名鉄津島駅 菅原社 居森社 津島神社結婚式場 参集所 天王川公園 国道155号

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

津島神社にアクセスする場合、車両は名鉄津島駅側の公道から入り、境内に隣接した楼門前の身障者駐車場に駐車することができ、楼門の階段を避ける手すり付きのスロープもある。境内には玉砂利が敷かれているものの、地盤は固めで特段の段差もないので、移動は他の神社に比べれば容易となっている。

周辺の名所・観光スポット

国営木曽三川公園

木曽川、長良川、揖斐川の「木曽三川」下流域一帯に広がる日本最大の国営公園。いくつかのエリアに分かれている中で、近くの桑名市内には「カルチャービレッジ」があり、多目的運動場「輪中ドーム」のほか、霧のミストの散策路「輪中ゾーン」、大型滑り台のある「山のゾーン」などが整備されている。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープあり】

■参考リンク:国営木曽三川公園

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このページの執筆者
@tabisora110