湯島天神

2016年3月7日神社

湯島天神(湯島天満宮)は、湯島聖堂とともに学問の神様として信仰を集める神社で、江戸の名所のひとつでもあります。現在も境内には小さな梅園があり、毎年春先になると「梅まつり」が開催されるほか、受験のシーズンには各地からの受験生もおとずれ、大いににぎわいます。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 天之手力雄命、菅原道真
所在地 東京都文京区湯島3丁目30番1号
交通 東京メトロ千代田線「湯島駅」(3番出口)から徒歩で約2分
拝観料 無料
駐車場 駐車場なし、「湯島天神入口」交差点または「銅鳥居」前にある民間有料駐車場(タイムズ湯島天神第1タイムズ湯島天神第2)を利用のこと
URL
連絡先 湯島天満宮 03-3836-0753

歴史・由来

湯島天神(湯島天満宮)は 雄略天皇2年(458)、勅命によって天之手力雄命を祀る神社として創建されたのがはじまりといわれています。

その後南北朝時代の正平10年(1355)、土地の人間が夢告により菅原道真を勧請し、さらに文明10年(1478)には扇谷上杉家の家宰であった太田道灌がこれを再建したといいます。

江戸時代には幕府から朱印地が認められるとともに、上野寛永寺の末寺であった喜見院が別当寺として管理にあたりましたが、寛永寺の経営支援のために文化9年(1812)に幕府から特に許しを得た「富くじ」(宝くじ)は、目黒不動、谷中感応寺(現在の台東区の天王寺)とともに「江戸の三富」といわれて人気がありました。

また、将軍・徳川綱吉によって元禄3年(1690)に湯島聖堂が建てられたことから、湯島天神も学門の神様として大いに信仰を集めるようにもなりました。

境内には菅原道真が好んだという梅を植えた苑池があり、江戸時代から梅の名所として知られ、現在も毎年2月から3月初旬に「梅まつり」が開催されているほか、寛文7年(1667)につくられた銅製の表鳥居は、東京都の指定文化財になっています。

車椅子で旅行するポイント

【1】地下鉄「湯島駅」からのルートは男坂、女坂、夫婦坂すべて階段につき車椅子不可。「銅鳥居」に回る。
【2】湯島天神の「銅鳥居」(表鳥居)。入口に段差はなく平坦。ただし地下鉄駅からの移動は坂道につき自動車がよい。
【3】「銅鳥居」の東道路沿いに身障者トイレあり。ただし坂道の途中にあるため適切な介助がないと利用しずらい。
【4】「銅鳥居」から湯島天神の境内へ。参道は石畳で舗装され移動は容易。「本殿」、後ろの「戸隠神社」(地主神)、「笹塚稲荷」まで平坦。
【5】「銅鳥居」の西の「唐門」は業務用車両の進入口となっているためこちらも段差なく平坦。
【6】湯島天神の「本殿」。大きな賽銭箱があり、車椅子・一般参拝者を問わずここで参拝する。




境内配置図 [凡例]
本殿 授与所 宝物殿 梅園 戸隠神社 笹塚稲荷 参集殿 社務所 銅鳥居 唐門 男坂 女坂 夫婦坂 車両祓所 湯島聖天 湯島天神入口交差点 東京都道453号本郷亀戸線 東京都道452号神田白山線 天神下交差点 湯島中坂下交差点 東京メトロ千代田線湯島駅

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

境内そのものは石畳かアスファルトで舗装されており、車椅子でも移動はしやすい。ただし、地下鉄からのルートでは石階段となってしまうため、段差のない表鳥居を知っているかどうかが鍵。また、一般参拝者向けの駐車場がないため、タイムズ湯島天神第2の民間駐車場を利用することになる。身障者可の公衆トイレは入口が坂道に面しているため使用の際には注意が必要となる。

周辺の名所・観光スポット

小石川後楽園

寛永6年(1629)に水戸藩初代の徳川頼房が江戸の小石川藩邸内の庭園として造成をはじめたもので、2代藩主・徳川光圀の時代に修築されました。「後楽園」の名前は、徳川光圀が招聘した、中国の明からの亡命儒学者・朱舜水の提案により、范仲淹『岳陽楼記』の一節「士先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」からとったものです。約7ヘクタールの園内には、築山や池泉が巧みに配置され、梅などの樹木も多数植えられていて、国の特別名勝・特別史跡になっています。
【障害者手帳所持者・付添人無料、身障者トイレあり、ルートによっては車椅子通行可につき受付に照会の上で玉砂利用の貸出を受けて乗換のこと】

■参考リンク:小石川後楽園

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このページの執筆者
@tabisora110