蚶満寺

2013年11月29日寺院

蚶満寺(かんまんじ)は、秋田県にかほ市にある曹洞宗の寺院で、古くから文人墨客が訪れた名刹として知られ、『おくのほそ道』の道中にあった松尾芭蕉も訪れています。一帯は当時「九十九島」と呼ばれ海中に島が点在する絶景でしたが、江戸時代の大地震により陸地となりました。「夜泣きの椿」ほか「蚶満寺七不思議」があります。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

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御本尊 釈迦如来
所在地 秋田県にかほ市象潟町象潟島2
交通 JR羽越本線「象潟駅」から徒歩約15分。
日本海沿岸東北自動車道「仁賀保IC」から約20分。
拝観料 大人300円、高校生150円、小・中学生100円
駐車場 入口に砕石敷の無料駐車場(収容台数30台、大型可)あり。
URL
連絡先 蚶満寺 0184-43-3153

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歴史・由来

蚶満寺(かんまんじ)は、秋田県にかほ市にある曹洞宗の寺院で、御本尊は釈迦如来です。

仁寿3年(853)、慈覚大師円仁の開創と伝え、もとは地名をとって「蚶方(きさかた)寺」と称していたものが「蚶満寺」になったとも、梵字のカンマンが転じて「蚶満寺」になったとも、神功皇后が三韓征伐の際に用いた干珠・満珠をとって「干満珠寺」としていたものが「蚶満寺」になったともいわれています。

正嘉元年(1257)には鎌倉幕府5代執権北条時頼が象潟を訪れて寺領を寄進したといい、寺紋にも北条氏と同じミツウロコを用いています。

その後寺勢は衰微しますが、天正15年(1587)に直翁呈機を勧請開山として再興され、その際曹洞宗に改められました。

元禄2年(1689)には『おくのほそ道』の道中にあった松尾芭蕉が訪れるなど、古くから文人墨客が訪れた名刹で、当時は周囲一帯を九十九島と呼び、海中に島が点在する絶景でしたが、江戸時代の文化元年(1804)に「象潟地震」が発生して陸地化しました。

その際、本荘藩主・六郷政速(ろくごう まさちか)は、この地震を奇貨として、島を取り潰し松の木を伐採するなどして強引に新田開発を進めようとしましたが、時の蚶満寺24世住職・全栄覚林は象潟の景観保全を訴え、蚶満寺を閑院宮家祈願所とするなどして対抗したため、藩によって捕縛され、獄中で亡くなっています。

この寺には北条時頼の御手植で咲くときは凶事があるという「咲かずのツツジ」をはじめ、「弘法投杉」、「夜泣きの椿」、「あがらずの沢」、「木登り地蔵」、「姿見の井戸」、「血脈授与の木」の7つからなる「蚶満寺七不思議」とよばれるものがあります。

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車椅子で旅行するポイント

蚶満寺【1】寺院入口に砕石敷の無料駐車場。奥には身障者トイレあり。
蚶満寺【1-1】身障者トイレ内部
蚶満寺【2】参道は薄く玉砂利が敷かれている。拝観受付を通り境内へ。
蚶満寺【3】蚶満寺本堂。本堂手前までの参道は中央に石畳。本堂正面は階段3段。
蚶満寺【4】回廊を潜ると庭園。ただし、回廊は低く頭上注意が必要で、地面とコンクリート通路との間にも8センチの段差。
蚶満寺【5】回廊下から庭園に向かう道に6段ほどの階段部分あり。
蚶満寺【6】庭園内は薄く玉砂利が敷かれ概ね平坦。住職が自ら案内されることがある。


蚶満寺境内図

周辺の名所・観光スポット

九十九島(くじゅうくしま)

鳥海山麓の田園地帯に浮かぶ島々の名残りで、国指定天然記念物。今から2600年前の鳥海山大噴火により日本海にまで達する岩なだれが発生し、その際象潟平野に無数の小島が形成された。やがて島々には松が生い茂り、松島と並ぶ絶景として知られるようになるが、文化元年(1804)の象潟大地震で海底が隆起し陸地化した。
【蚶満寺境内のほか、国道7号沿い「道の駅象潟ねむの丘」から展望可。道の駅には身障者用トイレ・駐車場・スロープ・点字ブロック・エレベーターあり。レストランも利用可。】

■参考リンク:道の駅象潟「ねむの丘」

このページの執筆者
@tabisora110