金塔山恵隆寺立木観音堂
金塔山恵隆寺は、福島県河沼郡会津坂下町にある真言宗の寺院です。本尊として根の付いた立木に刻んだとされる高さ8.5メートルの巨大な十一面千手観音を祀ることから「立木観音」の通称で知られ、この本尊と観音堂は国の重要文化財に指定されています。「会津ころり三観音」の一つでもあり、苦死から逃れるという意味で櫛を奉納する習慣があります。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 十一面千手観音菩薩 |
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所在地 | 福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2944 |
交通 |
JR只見線「塔寺駅」から徒歩約15分 JR磐越西線・只見線「会津若松駅」から会津バス(坂下線)経由で約45分、「坂下営業所」停留所で柳津線・杉山線・荻野線のいずれかに乗り換えて約13分、「塔寺立木観音前」停留所下車、徒歩約1分 磐越自動車道「会津坂下IC」から車で約5分 |
拝観料 |
境内無料 ただし、堂内拝観の場合は拝観料300円(拝観時間9時から16時まで、堂内撮影禁止) |
駐車場 | 境内西側と北側に舗装済みの無料駐車場、東側に砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 金塔山恵隆寺立木観音堂 |
連絡先 | 金塔山恵隆寺立木観音堂 0242-83-3171 |
歴史・由来
金塔山恵隆寺は、福島県河沼郡会津坂下町にある真言宗の寺院です。
江戸時代に会津藩が編纂した『新編会津風土記』巻九十ニでは、恵隆寺は大同3年(808)、坂上田村麻呂が空海のすすめにより建立したもので、その際に空海みずから本尊の十一面千手観音菩薩像を刻んだとしています。
また、明治時代に宮城三平が記した『会津温故拾要抄』四には、欽明天皇元年(540)、梁から渡来した僧・青岩が高寺山に庵を結んたのがはじまりで、斉明天皇4年(658)に蓮空上人が庵を改めて伽藍を創建、本尊は弘仁年間に徳一が自作したものという別の伝説を記します。
この高寺には寺内36坊を筆頭に「高寺三千坊」と呼ばれる無数の坊舎があり、隆盛を極めていたといいますが、源平合戦において平家方に属したため廃寺となり、建久元年(1190)に本尊をはじめ山内のものを残らず現在地に移転する「高寺おろし」が起こります。高寺が移転して以降、かつて金を鏤(ちりば)めた塔があったことから「小金塔村」と称されていた村の名前も「塔寺村」に変わります。
二十八部衆と風神・雷神を従えた本尊の十一面千手観音菩薩像は欅の一木造りで高さ8.5メートルほどあり、根が付いた立木のまま彫られたという伝承から「立木観音」の名で知られます。実際には鎌倉時代の作とみられますが、一木造としては日本最大級の大きさを誇り、国の重要文化財の指定を受けています。観音像の前面には「斗帳」と呼ばれる垂れ幕が掛けられており、これは応永14年(1407)以来、33年ごとに掛け替えられる例となっています。
本尊を安置する観音堂は鎌倉時代の茅葺きのもので、慶長16年(1611)の会津地震で倒壊しますが、沙門興海が領主の蒲生氏に願い出て元和3年(1617)に再興されます。宝暦5年(1755)に徳川9代将軍・家重が百日間の祈祷を命じた5年後の宝暦10年(1760)にも、家重が施主となり観音堂の修築が行われています。この観音堂も本尊と同じく国指定重要文化財です。
恵隆寺は「会津三十三観音」の31番札所であるとともに、如法寺(鳥追観音)、弘安寺(中田観音)とあわせて「会津ころり三観音」の一つであり、観音堂内にある「だきつき柱」に抱きついて祈願をすれば楽に往生できるといいます。苦死から逃れるという意味で、女性が櫛や髪の毛を奉納する習慣もあります。
車椅子で旅行するポイント
立木観音堂 客殿 本堂 小金塔:出土した礎石を並べて復元したもので大日如来を祀る 寺務所 三仏堂:薬師・阿弥陀・六地蔵を安置 手洗所 彰霊堂:日清戦争以来の戦没者を祀る 仁王門 小金塔跡地:礎石出土地 売店 トイレ 恵隆庵(金子製パン店):和菓子・土産物・休憩所 旧五十嵐家住宅:江戸中期の農家建築で国重要文化財 ふくしま本の森:東日本大震災時に寄贈された書籍を活用した民営図書館 八幡コミュニティーセンター 「別れの一本杉」記念碑:地元出身の春日八郎の歌碑 塔寺立木観音前バス停 心清水八幡神社:国重要文化財「塔寺八幡長帳」(数百年にわたる社家日記)で有名 福島県道43号会津坂下山都線 塔寺駅 国道49号 塔寺B.P.東交差点 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
恵隆寺(立木観音)には境内の周囲に無料の駐車場がある。正面の仁王門からの参道は入口に多少の段差がある程度で、あとはコンクリート舗装され平坦だが、堂の手前が香炉で塞がれているので、裏手にあたる北側の駐車場から境内に入り、観音堂の真横から参拝するのがよい。一般の参拝者も拝観料(300円)を納めれば堂内に入って観音像を間近に拝観できるが、車椅子のままでは階段があるので難しい。
周辺の名所・観光スポット
鶴ヶ城
「鶴ヶ城」は、福島県会津若松市にあるかつての城郭跡で、「日本100名城」にも認定されている国の史跡です。中世に蘆名氏が築城し「黒川城」と呼ばれていましたが、伊達政宗による蘆名氏滅亡を経て、豊臣政権下での蒲生氏郷の入封後は地名が「若松」と改められ、大規模な城郭と城下町が整備されます。近世には会津松平家の居城として発展し、「白虎隊」の悲劇で知られる幕末の戊辰戦争では籠城戦が行われました。戦後になってから天守閣が復元され、一帯は鶴ヶ城公園に、天守閣内部は鶴ヶ城博物館として活用されています。
【北出丸又は三の丸から入場。身障者用トイレ・駐車場(有料)・スロープ・車椅子貸出あり。なお、天守閣内部は階段のため車椅子不可。】
■参考リンク:(財)会津若松観光ビューロー