久昌寺

2018年8月17日寺院

久昌寺は、茨城県常陸太田市にあり、日蓮宗の由緒寺院にあたります。水戸藩2代藩主の徳川光圀(義公)が生母・久昌院の菩提を弔うために創建した寺院で、江戸時代には日蓮宗の学問所である檀林(三昧堂檀林)が置かれました。明治時代の神仏分離により一時荒廃するものの、末寺だった蓮華寺と合併して現在地で再興されました。戦前には光圀の遺徳を讃えて久昌寺の裏山に「義公廟」が建てられています。

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旅行先の地図

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旅行先の概要

御本尊 三宝尊
所在地 茨城県常陸太田市新宿町239
交通 常磐自動車道「日立南太田IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内(高台の上)に舗装済みの無料駐車場あり
URL
連絡先 久昌寺 0294-72-4888

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歴史・由来

久昌寺は、茨城県常陸太田市にある日蓮宗の寺院で、いわゆる「由緒寺院」に分類されます。

水戸藩2代藩主の徳川光圀(義公)が、生母であり初代藩主・徳川頼房の側室だった久昌院(谷久子)の菩提を弔うため、その十七回忌にあたる延宝5年(1677)、中山法華経寺の日忠上人を開山として創建した寺院です。

久昌院の墓所はもともと水戸城下の経王寺にありましたが、徳川頼房の墓所がある瑞龍山に改葬したのをきっかけとして、経王寺を常陸国久慈郡稲木村(現在の常陸太田市稲木町)に移し、寺号も「久昌寺」に改めることで成立した経緯があります。

徳川光圀側近の三木之幹らが編纂した『桃源遺事』によれば、当時の久昌寺は「仏殿、法堂、位牌堂、多宝堂、方丈、食堂、鐘楼、垂迹堂、山門等、本式の通に」建てられていたといい、巨大な伽藍があったことがうかがわれ、さらに天和3年(1683)には日蓮宗の学問所である檀林(三昧堂檀林)も置かれ、最盛時には3千人の僧侶が学んだといいます。

特に、京都から徳川光圀に招かれて久昌寺の院代(久昌寺は住職を置いていなかったため実質的な住職)となり、境内の摩訶衍庵(まかえんあん)に止住していた皆如院日乗が、元禄4年(1691)から同16年(1703)にかけて記載していた『日乗上人日記』は、西山荘に隠居した徳川光圀の暮らしぶりなどがよくわかる一級の史料として、茨城県有形文化財(書跡)に指定されています。

水戸藩9代藩主・徳川斉昭(烈公)は、中国の「瀟湘八景」になぞらえて藩内8か所の景勝地を選んで「水戸八景」と名付けていますが、そのなかにはかつて三昧堂檀林があった場所(常陸太田市稲木町の西山研修所構内)が「山寺の晩鐘」として含まれており、今でも斉昭が隷書で揮毫した石碑が建っています。

このような栄華を誇った久昌寺も、明治時代の神仏分離により一時荒廃したのち、久慈郡新宿村にあった末寺の蓮華寺と合併することで現在地に再興されました。昭和6年(1931)には、北海道の函館に渡って納豆の行商から身を起こして区会議員にまでなった太田出身の実業家・梅津福次郎の巨額の寄進により、現在の本堂が再建されています。

戦前の昭和16年(1941)には光圀の遺徳を讃えて久昌寺の裏山に「義公廟」が建てられ、内部には一切経や光圀が久昌院の供養のために衣冠姿で桧板に書写したという法華経などが納められています。

車椅子で旅行するポイント

久昌寺_1.jpg 【1】久昌寺は市街地からの急な坂道に隣接し、正面も石段となっているので、さらにこの坂道を自動車で登る。
久昌寺_2.jpg 【2】正面入口から80メートル先に車両用入口があるのでここを自動車で登って境内へ。
久昌寺_3.jpg 【3】車両用入口に隣接して義公廟への参道があるが、こちらは石段のため移動不可。
久昌寺_4.jpg 【4】久昌寺境内には舗装駐車場があり、参道部分もすべて舗装され平坦。北西方向の高台に義公廟が見える。
久昌寺_5.jpg 【5】国道293号に迂回し西山公園展望台に行くと身障者用トイレがあり、義公廟の裏手に出るが、ここも未舗装の坂道で車椅子移動は困難。


久昌寺境内図

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境内配置図 [凡例]
本堂 虚空蔵菩薩堂 鐘楼 寺務所 墓地 義公廟 西山公園展望台 西山公園休憩所 太田第二高等学校 諏訪神社 まんだらじ旅館 源氏川 西山研修所 国道293号 西山荘

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

久昌寺は常陸太田市内を見下ろす高台にあるが、自動車で境内の舗装された駐車場まで出入りすることができる。義公廟は久昌寺側からは長い石段となっており、反対の西山公園の側からは近くまで行くことができ、身障者用トイレなどもあるのだが、駐車場以降はやはり未舗装の坂道でのアプローチとなるので、車椅子のままでは難しい。ほかに西山荘の入口(「桃源」前)の舗装駐車場にも身障者用トイレがある。

周辺の名所・観光スポット

西山の里 桃源

一般に「水戸黄門」として知られる水戸藩2代藩主・徳川光圀の隠居所「西山荘」の入口にある休憩施設。館内には飲食コーナーや物産コーナー、展示コーナー、観光案内コーナーなどがあり、隣接して花菖蒲などの季節の花々が楽しめる園池が整備されている。「西山荘」(西山御殿)は茅葺き・平屋建てで書斎もわずか3畳と、徳川御三家の大名クラスとしては似つかわしくない質素なつくりで、光圀はここで紀伝体の歴史書『大日本史』の編纂に努め、後の「水戸学」の形成に大きな影響を与えた。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープ・車椅子貸出(館内)あり。なお、西山荘の内部は階段路があり移動困難。】

■参考リンク:西山の里桃源

このページの執筆者
@tabisora110