三井寺(園城寺)
滋賀県大津市の園城寺は、天台寺門宗の総本山で、天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に用いた井戸があることから「三井寺」と通称されます。国宝の金堂や西国三十三観音霊場の札所・観音堂などの貴重な建築物が数多くあり、近江八景の「三井の晩鐘」の風景でも知られています。
旅行先について
地図
旅行先の概要
御本尊 | 弥勒菩薩(秘仏) |
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所在地 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
交通 |
京阪石山坂本線「三井寺駅」から徒歩約10分 JR東海道本線「大津駅」から京阪バス(大津京駅行き)経由で約10分、「三井寺」停留所下車 名神高速道路「京都東IC」から車で約10分 |
拝観料 | 大人600円、中高生300円、小学生200円(拝観時間:午前8時から午後5時まで、年中無休) |
駐車場 | 大門前に舗装済みの有料駐車場(普通車500円、収容台数:普通車350台、バス30台)あり |
URL | 三井寺 |
連絡先 | 三井寺 077-522-2238(代表) |
歴史・由来
滋賀県大津市の園城寺は、天台寺門宗の総本山で、金堂の西側の閼伽井屋に天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に用いたと伝承される井戸があることから「三井寺」と通称されます。
寺伝では、壬申の乱に敗れた弘文天皇(大友皇子)の子・与多王が、父の菩提を弔うため、朱鳥元年(686)に田園城邑を寄進して開基となり、天武天皇から「園城寺」の勅額を賜ったとされています。
貞観元年(859)には円珍(智証大師)が園城寺長吏となってこの寺を中興し(一説に貞観8年とも)、貞観8年(866)には園城寺が比叡山延暦寺の別院となります。
その後、天台宗の教えをめぐる内部対立から、慈覚大師円仁を支持する派閥が比叡山で主流派を占め、智証大師円珍の派閥は山を下りて園城寺を拠点とするようになり、「山門」に対して「寺門」とよばれました。
平安時代中期には、村上天皇第3皇子・致平親王(むねひらしんのう)の子である永円が園城寺長吏となり、以後皇族・貴族が長吏となる「門跡寺院」として定着します。
しかしながら、山門・寺門の対立や、源平合戦、南北朝の争乱などによって、しばしば園城寺の伽藍は焼き討ちに遭うなどしており、豊臣秀吉のころには闕所(寺領没収)の命令によりいったん破却や移築されるなどしています。
慶長3年(1598)には豊臣秀吉から闕所が解かれたため、堂宇は順次再興され、現在に残る国宝の金堂や、重要文化財の大門、唐院、釈迦堂などの建物の多くが慶長年間の再建となっています。ただし、かつては近江・常楽寺にあった室町時代の大門や、大和・比曽寺にあった鎌倉末から室町初期の三重塔などのように、もともとの建築年代がさらに遡るものを移築しているケースもみられます。
こうした建築物のほか、円珍が修行中に感得し、渡唐の守護をしたと伝わる「黄不動」の絹本や、円珍の遺骨を像内に収めた「智証大師坐像」などの彫刻・絵画も国宝に指定されており、その他国宝や重要文化財に指定されている寺宝がきわめて多いことでも特筆されます。
また、境内の琵琶湖をのぞむ高台には西国三十三観音霊場の第14番札所である観音堂があるほか、中国の瀟湘八景をモデルに成立した近江八景のひとつ「三井の晩鐘」の景観でも知られています。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
境内駐車場に身障者用トイレあり。参道の一部である砕石敷の車道を通れば「大門」から入場しても車椅子可だが、途中は傾斜が多く距離が長いため介助を要する。身障者手帳を提示し「黒門」付近から車両で進入することも可能なため、できるだけ車椅子での移動距離を短くするのがよい。ただし、いずれの手段でも「唐院」など車椅子不可の場所があるので、やはり車椅子での移動はそれほど楽ではない。
周辺の名所・観光スポット
大津市歴史博物館
平成2年に開館した市立博物館で、歴史年代別にみた大津の歴史・文化の紹介のほか、天智天皇が開いた大津京、琵琶湖を舞台に供御人らが活躍した堅田、一大宗教都市として栄えた比叡山麓などのテーマによる常設展示を行っている。また、大津絵をはじめ地域に関連した企画展を随時開催している。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープ・エレベーター・車椅子貸出あり。身障者は入館無料。】
■参考リンク:大津市歴史博物館