西園寺

2017年5月1日寺院

西園寺は、京都市にある浄土宗の寺院で、公卿の西園寺家はこの寺名がもとになっています。元仁元年(1224)、西園寺公経が京都北山に営んだ山荘内の仏堂が起源であり、後にその場所は足利義満に譲られて北山殿に、さらに現在の鹿苑寺(金閣寺)へと発展します。西園寺の境内には「洛陽四十八願地蔵」のひとつである土止地蔵(槌留地蔵)が祀られています。

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旅行先の地図

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旅行先の概要

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御本尊 阿弥陀如来
所在地 京都府京都市上京区寺町通鞍馬口下る高徳寺町362
交通 京都市営地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」から徒歩約7分
名神高速道路「京都南IC」または「京都東IC」から車で約30分
拝観料 無料
駐車場 参拝者駐車場はあるが閉鎖時は境内の指定位置に駐車可
URL
連絡先 西園寺 075-231-1952

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歴史・由来

西園寺は、京都市上京区の寺町通に面した浄土宗の寺院で、公卿の西園寺家はこの寺名がもとになっています。

承久の乱の際に鎌倉幕府の信任を獲得し、太政大臣にまで昇り詰めた藤原公経は、源仲資(白河仲資王)が持っていた京都北山の土地と尾張国松枝荘の自領とを交換(相博)し、ここに別業(別荘)として北山第を造営します。元仁元年(1224)、その別荘内に創建された御堂が、西園寺の起源となっています。

中世の歴史物語『増鏡』には、大規模な苑池や多数の仏堂、寝殿をもつ北山第のようすを、摂関政治全盛期の藤原道長が建てた法成寺に匹敵するとして「いはんかたなくめでたし」と記しており、鎌倉後期に書かれた『中務内侍日記』からも、後深草上皇の御幸があるなど隆盛していたことがわかります。

鎌倉幕府の滅亡後は後ろ盾を失い衰退しますが、室町時代に入ると、出家した足利義満に請われた西園寺実永が、河内に所領を得る代わりとしてこの北山第を譲り渡したことから、文和元年(1352)に京都室町に移転し、さらに天正18年(1590)には豊臣秀吉の京都改造にともない、寺町通の現在地に移転することになりました。

なお、足利義満は西園寺家から譲り受けた土地に自身の北山第を造営し、いわゆる「北山文化」の中心となったほか、後に義満の院号をとって鹿苑寺(金閣寺)に改められています。

この西園寺の境内には、江戸時代の寛文年間(1661~1673)、霊元天皇の命により僧・宝山が選定したという「洛陽四十八願地蔵」のひとつである土止地蔵(槌留地蔵)(第20番札所)が祀られており、これは西園寺が北山にあった時代の「功徳蔵院」と呼ばれる建物に安置されていた地蔵であるといいます。堂内には江戸時代の天明年間(1781~1789)に小泉直晃が描いたという障壁画があり、これは地獄世界・極楽世界の双方の有り様を示しています。

また、本堂に祀られる重要文化財の本尊の阿弥陀如来坐像は、やはり北山から持ち越したものであって、鎌倉時代の作とみられますが、平安時代の恵心僧都源信の作であるという伝えもあるほか、本堂正面に掲げられた扁額は、明治・大正期にかけて「桂園時代」を築いた元老・西園寺公望の揮毫によるものです。

車椅子で旅行するポイント

西園寺_1.jpg 【1】寺町通から西園寺の入り口にやや段差。門の右手の駐車場は施錠されているが、自動車は門を潜ってそのまま境内に乗り入れ可能。
西園寺_2.jpg 【2】西園寺境内の参道部分は石畳で平坦。他は玉砂利となっている。「駐車可 ここまで」の看板がいくつかあり、本堂前なら前向き駐車可。


西園寺境内図

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

西園寺には特にバリアフリーの設備はなく、公道から境内に入る擦り付けの部分にやや段差があるが、境内参道は基本的に平坦な石畳となっている。参詣者駐車場はあるにはあるが、普段は門扉が施錠されているようすで、逆に境内の要所に「駐車可 ここまで ↓↓↓」のような看板が置かれており、そのまま自動車で境内に乗り入れ、前面駐車など指定の方法で駐車しておけばよさそうである。多目的トイレは400メートル北東の鴨川沿いの「鴨川公園公衆トイレ」、あるいは地下鉄「鞍馬口駅」ホームトイレが利用できる。

周辺の名所・観光スポット

京都御苑

京都御苑(きょうとぎょえん)は、京都府京都市にある国民公園で、かつての公家町にあたり、その中心には京都御所が建っています。公園部分は65クタール、御所などをあわせると92ヘクタールという広大な面積です。京都御所の建物は江戸末期の再建ですが、古くからの内裏の形態を残す由緒あるものです。
【身障者用トイレ、身障者用駐車場、車椅子対応苑路の設定あり】

■参考リンク:宮内庁>京都御所

このページの執筆者
@tabisora110