石切劔箭神社

石切劔箭神社 神社
神社
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石切劔箭神社は、大阪府東大阪市にある神社で、かつての河内国にあった式内社の一つです。神武天皇2年の創建と伝えられ、腫れ物を治してくれる「でんぼの神さん」として知られています。参道には商店街が形成されており、占いや漢方薬などの個性あるお店が建ち並んでいます。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 饒速日尊、可美真手命
所在地 大阪府東大阪市東石切町1丁目1-1(本社)
交通 近鉄奈良線「石切」駅から徒歩約15分
阪神高速13号東大阪線「水走出口」から車で約5分、又は第二阪奈道路「西石切ランプ」から約5分
拝観料 無料
駐車場 境内の南・北に舗装された有料駐車場あり【最初の1時間は300円、以降30分ごとに100円】
URL
連絡先 石切劔箭神社 072-982-3621

歴史・由来

石切劔箭神社は、大阪府東大阪市にある神社で、かつての河内国にあった式内社の一つです。

河内国の哮ヶ峰(たけるがみね)に天下った饒速日命の子である可美真手命(うましまでのみこと)は、大和国の豪族である長髄彦を滅ぼし、神武天皇の大和平定に大きく貢献しました。
その功績により河内地方を賜った可美真手命が、神武天皇2年に現在の生駒山の宮山に饒速日命を祀ったのが、この神社のはじまりと伝えられます。
宮山には「上之社」がありますが、その後の崇神天皇の時代には、現在の本社のある場所にも可美真手命が祀られています。

可美真手命は物部氏の祖先であり、この神社も物部一族の穂積氏(後に木積氏)が代々にわたり神主を務めるほか、かつての境内には神宮寺として「法通寺」、別名「穂積寺」と呼ばれる寺院が建てられていました。

室町時代には兵火のため石切劔箭神社の社殿、法通寺とも焼失しており、創建の由来を示す古文書などもほとんど残っていませんが、境内からは白鳳時代にさかのぼる法通寺の遺構や土師器、瓦などの遺物が発掘されています。

石切劔箭神社は「でんぽ(腫れ物)」を治してくれる「でんぼの神さん」として、またお百度参りの風習などで知られており、今日でも多くの参拝者が訪れるところです。
鳥居前の参道には「石切参道商店街」が形成されており、占いや漢方薬などの個性あるお店が建ち並びます。

車椅子で旅行するポイント

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【1】石切劔箭神社の南側入口。絵馬殿前に石段があり、左手車道は駐車場につながっている。

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【2】絵馬殿前の石段脇にコンクリート製の手すりつきスロープがあり容易に迂回できる。

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【3】駐車場内にも身障者用区画が2つあり、目の前の階段脇には同様にスロープが付いている。

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【4】駐車場隣接の南休憩所裏にトイレ棟があり身障者用トイレを併設する。

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【4-1】身障者用トイレ内部

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【5】絵馬殿からの参道は石畳で平坦。ただし商店街のある公道を渡る付近の地形は緩傾斜となっている。

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【6】石切劔箭神社の本殿前。手前まで石畳だが奥に3段の石段が見える。

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【7】石段は右手の木製スロープから迂回して賽銭箱の直下(賽銭箱の位置はさらに3段上)までは移動可。



石切劔箭神社境内図

境内配置図 [凡例]
北駐車場 東公園 本殿 授与所 菱水会館 乾明神社 穂積地蔵尊 一願成霊尊 穂積神霊社 穂積殿 社務所 神楽殿 神輿殿 神武社 五社明神社 衛士詰所 手水舎 水神社 納札所 神火祭場 神火殿 崇敬会館 南駐車場 南休憩所 絵馬殿

移動のしやすさ ★★★★★
バリアフリーの状況 石切劔箭神社には身障者用駐車場(2台)・身障者用トイレ(3箇所)・スロープが設置されており、参道もほとんどが石畳やアスファルトで舗装され、バリアフリー化されている。

周辺の名所・観光スポット

司馬遼太郎記念館

「司馬遼太郎記念館」は、大阪府東大阪市の司馬遼太郎自宅及び隣接地に建つ記念館で、建築家・安藤忠雄の設計による。もと産経新聞記者で『竜馬がゆく』などの歴史小説の執筆でも知られる司馬遼太郎の蔵書や直筆原稿などが展示されているほか、さまざまなテーマによる企画展やイベントも開催されている。
【身障者用駐車場・トイレ・エレベーター・車椅子貸出あり。手帳持参者と介護者無料。】

■参考リンク:司馬遼太郎記念館