佐野厄除け大師惣宗寺
惣宗寺(そうしゅうじ) は、「佐野厄除け大師」として知られる栃木県佐野市の寺院で、藤原秀郷の開基と伝えられています。川越の喜多院、前橋の龍蔵寺とともに、元三大師を祀る「関東の三大師」に数えられ、正月には初詣客でたいへんにぎわいます。境内には足尾銅山鉱毒事件で活躍した田中正造の遺骨が分骨された墓があります。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 釈迦如来 |
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所在地 | 栃木県佐野市金井上町2233 |
交通 |
東武佐野線「佐野市駅」から徒歩約10分 JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」から徒歩約15分 JR・東武「佐野駅」から佐野万葉浪漫バス経由で約5分、「佐野厄除け大師」停留所下車 東北自動車道「佐野藤岡IC」または「佐野SAスマートIC」から車で約5分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 |
境内正面から舗装された無料駐車場に進入可、身障者区画あり(警備員が誘導) その他境内周辺に無料の舗装駐車場多数(大型バス用の№28駐車場まであわせて1,000台程度)あり |
URL | 佐野厄除け大師 |
連絡先 | 春日岡山惣宗寺(佐野厄よけ大師) 0283-22-5229 |
歴史・由来
惣宗寺(そうしゅうじ) は、「佐野厄除け大師」として知られる、栃木県佐野市の市街地にある天台宗の寺院です。
天慶7年(944)、南都の僧侶・宥尊上人が開山となり、平将門を討った下野国押領使・藤原秀郷が春日岡(現在の佐野城跡)の地に春日明神の社殿とともに創建したと伝わる寺院で、当初は法相宗に属し、朱雀天皇から「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったとされています。
その後、永仁5年(1297)に比叡山の僧侶で藤原氏の流れを汲む俊海が荒廃した寺院を再興して天台宗に転じ、以後も藤原秀郷を先祖にもつ佐野氏によって信仰されます。
慶長7年(1602)、北条氏政や上杉謙信の猛攻に耐えた関東一の山城である居城・唐沢山城の廃城を徳川家康から命じられた佐野信吉は、唐沢山の麓にあたる春日岡に佐野城を新たに築城するにあたり、惣宗寺を現在地に移転させます。
また、徳川家康が駿府城で亡くなると、その遺骸はいったん静岡県の久能山に葬られたあと、元和3年(1617)、埼玉県の川越(仙波)、忍、栃木県鹿沼などを経て日光に改葬されますが、その途中に佐野の惣宗寺で家康の霊柩が1泊しており、文政11年(1828)には境内に徳川家康を東照大権現として祀る「佐野東照宮」も造営され、極彩色の社殿は栃木県指定文化財となっています。
惣宗寺には厄除けや身体安全に効験があるという元三大師の絵像を祀っていますが、特に関東ではテレビコマーシャルの放映などもあって「佐野厄除け大師」として知られ、川越の喜多院(川越大師)、前橋の龍蔵寺(青柳大師)とともに、元三大師良源を祀る「関東の三大師」に数えられ、正月には50万人ともいわれる初詣客でたいへんにぎわいます。
また、足尾銅山鉱毒事件で活躍した田中正造の本葬がこの惣宗寺(密葬は館林市(旧渡瀬村)の雲龍寺)で行われたことから、境内には遺骨が分骨された墓所があり、佐野市指定文化財となっています。
車椅子で旅行するポイント
本堂 麗水観音 多目的トイレ 元三大師堂 水子地蔵尊 東照宮 銅鐘 田中正造墓所 墓地 構内駐車場 金銅大梵鐘 唐門 山門 春日稲荷大明神 佐野厄除け大師バス停 佐野市観光物産会館 日限地蔵尊 No.18駐車場 |
移動のしやすさ
★★★★★
バリアフリーの状況
「佐野厄除け大師」は、関東圏では厄除け祈願に訪れる人が多く、平日でもそれなりの参拝者がある。人気のわりに境内はそれほど広くはなく、玉砂利の部分もあるが、主要な導線は石畳かアスファルト舗装なので、車椅子での移動はしやすい。山門の警備員の誘導で境内の舗装駐車場に入ると、本堂に近い部分に身障者用の駐車スペース(思いやり駐車場)がある。また、多目的トイレ(オストメイト可)や昇降機も境内に整備されている。
周辺の名所・観光スポット
佐野市観光物産会館
佐野市の観光情報発信基地として平成7年にオープンしたもので、佐野厄除け大師の道路挟んで目の前にある。青竹打ちの平麺が特徴で、ゆるキャラ「さのまる」のモチーフでもあるご当地グルメの「佐野ラーメン」をはじめとして、地酒、つけもの、銘菓、鋳物などの物産を多数展示即売している。
【点字ブロック、多目的トイレ(オストメイト可)あり】
■参考リンク:佐野市観光物産会館