恵林寺
恵林寺は、山梨県甲州市にある臨済宗の名刹で、甲斐武田氏の菩提寺でもあり、織田信忠の甲州征伐で焼き討ちに遭った際の快川和尚の遺偈とされる「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」で有名です。境内には戦国の名将・武田信玄や甲府藩主・柳沢吉保の墓所があります。また、参道に建つ四脚門は国の重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 釈迦如来 |
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所在地 | 山梨県甲州市塩山小屋敷2280 |
交通 | JR中央本線「塩山駅」から山梨貸切自動車バス「窪平・西沢渓谷入口行き」で約11分、「恵林寺」停留所下車 中央自動車道「勝沼IC」から車で約20分 |
拝観料 | 無料 ただし、国名勝庭園及び館内見学料:大人300円、小・中・高校生100円【庭園及び方丈・大庫裡館内は板敷で階段あり車椅子不可】、武田信玄公宝物館:大人500円、小・中学生100円【宝物館の階段左手にスロープあり1階は車椅子可】 |
駐車場 | 寺院裏手に砕石敷の無料駐車場(50台収容)あり |
URL | 恵林寺 |
連絡先 | 恵林寺 0553-33-3011 |
歴史・由来
恵林寺は、山梨県甲州市にある臨済宗の名刹で、甲斐国の守護職であった二階堂道蘊(二階堂貞藤)が、鎌倉時代末期の元徳2年(1330)、京都五山の名僧夢窓疎石を招いて開山としたのがはじまりとされています。
その後は応仁の乱によって荒廃するものの、甲斐武田氏の菩提寺となり、天文10年(1541)には甲斐国主・武田晴信(武田信玄)により、飛騨国の三木直頼(戦国大名・姉小路良頼の父)の弟にあたる明叔慶浚が招かれて中興しています。
さらに永禄7年(1564)には美濃国から快川紹喜が招かれて住職になっており、戦国の名将・武田信玄の遺言による「三年秘喪」後の葬儀も、家督を相続した武田勝頼を施主に、快川を大導師にしてこの寺で執り行われたといい、境内には江戸時代になってから建てられた「武田信玄公墓所」の五輪塔と宝篋印塔が残っています。
天正10年(1582)の甲州征伐の折には、織田信忠の軍勢により恵林寺も焼き討ちに遭っていますが、史実かどうかには異論があるものの、その際に火定を遂げた快川和尚が発したといわれている遺偈「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」はことに有名です。
また、江戸時代に幕府側用人から甲府藩主となった柳沢吉保は、自らが甲斐源氏の一族に連なる家系であることを誇りとして武田信玄を尊崇し、恵林寺で武田信玄の百三十三回忌の法要を行っており、柳沢吉保自身の墓所も恵林寺内にあります。
恵林寺は明治時代の大火で堂宇の多くを失っていますが、参道に立つ四脚門は桃山様式を伝える貴重な建築物として国の重要文化財に指定されているほか、夢窓疎石作とされる庭園も国の名勝に指定されています。
車椅子で旅行するポイント
方丈 大庫裏 信玄公墓 開山堂 三重塔 三門 四脚門 武田信玄公宝物館 東地蔵堂茶屋 一休庵 望月庵 駐在所 国道140号 山梨県道38号塩山勝沼線 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
恵林寺は正面から車椅子で入ると一部に段差などもあるため、大庫裏脇にある駐車場で降りて裏手から回るのが最もスムーズに移動できる方法となる。参道は舗装され境内には身障者用トイレもあるなど、ある程度は車椅子にも配慮されたつくりになっている。
周辺の名所・観光スポット
観光果樹園
水はけのよい扇状地を多く抱える山梨県は古くから果樹栽培の盛んな地域で、ぶどうに至っては奈良時代に行基が開基した大善寺にぶどうの苗を植えたとの伝説があるほどである。恵林寺周辺にもぶどう、もも、いちご、さくらんぼ狩りなどが楽しめる観光農園が多数立地している。
【車椅子の受入可能な観光農園あり。リンク先で「車椅子」をキーワード検索】
■参考リンク:フルーツ王国やまなし観光果樹園NET