神倉神社

2014年2月9日神社

神倉神社は、和歌山県新宮市の神社で、熊野権現が降臨した巨大な「ゴトビキ岩」を御神体としています。2月の「お燈まつり」は松明を手にした白装束の男たちが鎌倉積石階段の急峻な参道を駆け下りる奇祭です。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

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御祭神 天照大神、高倉下命
所在地 和歌山県新宮市神倉1-13-8
交通 JR紀勢本線「新宮駅」から徒歩約15分
紀勢自動車道「尾鷲北IC」から車で約1時間10分
拝観料 無料
駐車場 神社境内に至る太鼓橋の手前、出雲大社新宮教会隣に舗装済の観光客駐車場(無料、収容台数:7台)あり
URL
連絡先 熊野速玉大社社務所 0735-22-2533

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歴史・由来

神倉神社は、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の境外摂社で、熊野地方の方言でヒキガエルを表す「ゴトビキ岩」という巨大な磐座を御神体とする神社です。「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部としてユネスコの世界遺産にも登録されています。

この「ゴトビキ岩」は、神武天皇が東征の際に登ったと『日本書紀』に記された「天磐盾」(あめのいわたて)であるといい、このとき御祭神である天照大神の子孫の高倉下命(たかくらじのみこと)が神剣・布都御魂(ふつのみたま)を献上したため、天皇の軍は勝利を得たと伝わっています。

神倉神社の創建について、『熊野年代記』には安寧天皇18年(前531)に神倉に神が降臨し、景行天皇58年(128)に熊野新宮を建てたとあり、実際にゴトビキ岩の周辺から古代の銅鐸片や滑石製模造品、経塚埋納品などが発見されていることからも、現在の熊野速玉大社の元宮にあたる重要な場所であったことがわかります。

ゴトビキ岩の下にある神倉神社の社殿は昭和になって新たに建立されたものですが、自然石を積み上げた「鎌倉積み」と呼ばれる参道の石段は、建久4年(1193)に将軍・源頼朝が寄進したものと伝えられ、その段数は538段あります。

また、神門近くの石造の手水鉢は新宮城主・水野重良が姉・しゃむ姫の延命と繁栄を願って寛永8年(1631)に、境内入口の「下馬」標石は奥州の大銀与兵衛盛道が熊野三山に7回参詣したことを記念して寛文12年(1672)に、それぞれ寄進をしたもので、近世にも信仰を集めていたことがうかがわれます。

神倉神社では毎年2月に「お燈まつり」が開催されます。『熊野年代記』に敏達天皇3年(574)から始まるとされる古くからの火祭りで、白装束に荒縄を締め込んだ「上り子」と呼ばれる男たちが松明を手に一斉に急峻な鎌倉積みの石階段を駆け下りるという勇壮なものです。

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車椅子で旅行するポイント

神倉神社は、本殿に至る参道の大部分が急峻な石階段のため、車椅子で拝観できる範囲は石階段の手前までとなります。詳しくは写真の解説記事をご覧ください。
神倉神社【1】境内入口の太鼓橋前、出雲大社新宮教会脇に舗装された無料の観光客駐車場(7台)あり。ここに至る道路は狭いので運転注意。
神倉神社【2】駐車場を過ぎて太鼓橋を渡ると境内地。橋の右手に江戸時代の「下馬」標石がある。
神倉神社【3】神倉神社境内。橋を渡ると正面に猿田彦神社。この付近は玉砂利敷で概ね平坦。
神倉神社【4】鎌倉積み石階段下の鳥居と賽銭箱。これ以降特に地蔵堂付近までは急峻な階段のため、車椅子はもとより一部自力歩行可能者でも本殿参拝は困難。
神倉神社【5】女坂と石階段の合流部。女坂も随所に木の根が張り出す未舗装かつ滑りやすい急坂で石階段並みに歩行困難。
神倉神社【6】神倉神社本殿とゴトビキ岩。健常者なら10分程度で到達できるが大部分が石階段で当然ながら車椅子は不可。


神倉神社境内図

境内図に関連して、神倉神社境内トイレ(社務所脇)のほか、図には記載がありませんが、神倉小学校グラウンドの端(下馬標石の道路挟んで反対側)に観光トイレが新設され、平成28年11月23日から供用を開始しています。神倉神社観光トイレには、オストメイト対応の身障者用トイレが併設されています。

周辺の名所・観光スポット

浮島の森

約5千平方メートルの島が沼の中にまるごと浮いており、約130種の植物が森を形成する。ヤマドリゼンマイ、テツホシダのような寒暖両性の植物が同時に混在する珍しい植生で、国の天然記念物に指定されている。かつては神倉神社を拠点とする神倉聖の行場とされていた。【身障者用トイレあり】

■参考リンク:和歌山県公式観光サイト>浮島の森

このページの執筆者
@tabisora110