桐生賀茂神社
賀茂神社は、群馬県桐生市にある神社です。崇神天皇の時代、豊城入彦命が山城国から賀茂神を勧請したとされています。『日本後紀』に延暦15年(796)官社に列したと載る上野国でも有数の古社で、現在でも「賀茂神社太々神楽」が奉納され、「賀茂神社御篝神事」が行われるなど、貴重な民俗文化を伝えています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 賀茂別雷神 |
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所在地 | 群馬県桐生市広沢町六丁目833番地 |
交通 |
東武桐生線「新桐生駅」からおりひめバス(広沢線)経由で約17分、「広沢町六丁目」停留所下車、徒歩約10分 北関東自動車道「大田桐生IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内前に舗装された無料駐車場(若干台)あり |
URL | 桐生市>御篝神事(みかがりしんじ) |
連絡先 | 賀茂神社 0277-54-5492 |
歴史・由来
賀茂神社は、群馬県桐生市にある神社で、式内社の一つにあたります。
社伝によれば、崇神天皇の時代、豊城入彦命が山城国から賀茂神を勧請したとされています。
六国史の一つである『日本後紀』には、すでに延暦15年(796)8月に「上野国山田郡賀茂神。美和神。那波郡火雷神。並為二官社一。」と官社に列した記事が見え、上野国でも有数の古社であることは間違いがありません。
寛治元年(1089)、いわゆる「後三年の役」にあたり、源義家がこの社で戦勝を祈願し、凱旋後に舞楽を奏したとされ、もと別当寺だった法楽寺の前面に建つ住宅地の裏には「舞台」の遺跡があります。ほかにも豊機神社が鎮座する賀茂山には古代の祭祀遺跡が、境内本殿手前には永和四年(1378)の銘をもつ安山岩の石灯籠が残ります。
毎年の節分の日の夜には、江戸時代からの伝統をもつ、桐生市指定重要無形民俗文化財の「賀茂神社御篝神事」が行われます。まずは白装束を着た氏子たちが「鬼は外」と豆まきを行うとともに、境内の中央に設えた御篝場に、体を撫でて穢れを移した人形(ひとがた)、古神札などを積み、薪をくべておきます。その後は太鼓の合図とともに、火の付いたままの薪を、左右に分かれた氏子同士で投げ合って、火の粉が舞うなかで穢れを払うという行事です。
また、同じく、桐生市指定重要無形民俗文化財の「賀茂神社太々神楽」は、毎年春の例祭(4月14日・15日)、秋の例祭(10月15日の直近の日曜日)において奉納されるもので、江戸時代の文化12年(1815)、宮司の飯塚伊豆正がはじめたとされています。特に「屑紙拾い三番叟」はこの神社だけに伝わるとされるもので、竹籠と竹ばさみを手にして大笑い面を付けた舞人が、さまざまなものを拾い集めるユーモラスな仕草が特徴です。
賀茂神社の周囲には、賀茂神社の旧別当寺で南北朝時代の御正体が残る法楽寺、かつての宮司の屋敷にあたる飯塚家住宅、大谷石でつくられた昭和初期の旧飯塚織物工場を改装した桐生自動車博物館、戦国時代の武士の館の面影が残る国重要文化財の彦部家住宅などの見どころがあります。
車椅子で旅行するポイント
本殿 拝殿 石灯籠 香取神社 鹿島神社 豊機神社 神楽殿 神輿殿 八坂神社 手水舎 賀茂御祖神社 直会殿 社務所 賀茂神社駐車場 法楽寺 飯塚家住宅 桐生自動車博物館 国道50号 賀茂神社入口交差点 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
賀茂神社正面は石段だが、右手に社務所脇を抜けて境内に入れる舗装済みの車道がある。境内は参道は舗装されているが、その他は地面が露出しており、おおむね平坦である。ただし、豊機神社をはじめとして、境内社の多くは石段を登る必要がある高い場所に位置する。拝殿や本殿も玉垣で囲まれて周囲よりも3段ほど高くなった場所に鎮座している。
周辺の名所・観光スポット
桐生歴史文化資料館
桐生歴史文化資料館は、「西の西陣、東の桐生」とうたわれる織物のまち・桐生の歴史や文化に関連したさまざまな文物を展示する資料館です。桓武天皇の時代に絹織物の技術を伝えたとされる白滝姫の御神影、繻子などの織物の現物や下絵、戦前の織物工場の写真ほかを常設展示するとともに、テーマを決めて企画展を開催しています。資料館は、江戸時代以降の商家建築や、酒・味噌・醤油の醸造・保管をしていた蔵を転用した「有鄰館」、桐生新町の中心として鎮座する桐生天満宮などの伝統的な街並みが残る、重要伝統的建造物群保存地区の入口にあたり、その案内役も担っています。
【入場無料。入口に身障者用駐車場あり。】
■参考リンク:桐生歴史文化資料館