櫛引八幡宮

2013年10月29日神社

櫛引八幡宮は、青森県八戸市に鎮座する神社で、南部氏の開祖・南部光行が創建したものです。「南部領総鎮守」として南部氏歴代の尊崇が厚く、国宝の「赤糸威鎧」や重要文化財の本殿をはじめ、貴重な文化財が数多くあります。本殿の脇障子は「鷹にメドツ(河童)」という珍しいデザインです。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神誉田別尊ほか
所在地青森県八戸市八幡字八幡丁3-2
交通 八戸自動車道「八戸IC」から車で約5分。
八戸中心街バスターミナル(「六戸町」バス停留所)から八戸市営バス(一日市行き)で約20分、「神社前」停留所下車。
拝観料無料。ただし、「国宝館」は大人400円、中・高校生300円、小学生200円。
駐車場神社南側に砕石敷の無料駐車場あり
URL
連絡先櫛引八幡宮社務所 0178-27-3053

歴史・由来

櫛引八幡宮は、青森県八戸市に鎮座する神社です。

平泉合戦の戦功により源頼朝から陸奥国糠部郡を賜った南部氏の祖・南部光行が建久2年(1191)に入部すると、家臣・津島平次郎と天台僧・宥鑁に命じて父信濃守遠光 (加賀美次郎) が甲斐国南部庄に祀っていた八幡大明神を勧請し、六戸の瀧の沢村に仮宮を営ませたのが始まりといいます。

その後、神託により四戸の櫛引村に坂上田村麻呂が祀った八幡宮の小社があることがわかり、 同神同体なので、 貞応元年(1222)、ここを社地と定めて社殿を造営し遷座します。

以後「櫛引八幡宮」と称し、「南部領総鎮守」として歴代の尊崇を受けるところとなっため、国宝の「赤糸威鎧」、「白糸威褄取鎧」をはじめこの神社には貴重な神宝が数多くあります。

現在の社殿も第28代盛岡2代藩主・南部重直が正保2年(1645)から慶安元年(1648)にかけて建立したもので、本殿、旧拝殿(長所)、末社神明宮、末社春日社、南門の5棟はは国指定重要文化財となっており、本殿の脇障子には「鷹にメドツ(河童)」という珍しい意匠が彫刻されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】櫛引八幡宮の一の鳥居。脇に砕石敷駐車場があるほか、車でさらに奥まで進入可。
【2】一の鳥居を抜けると正面二の鳥居との間に砕石敷の参拝者駐車場あり。
【3】正門前に太鼓橋。脇には平橋あり。橋の左側にさらに段差の少ない箇所がある。
【4】太鼓橋の左側、長所付近に平坦な場所がある。ここから拝殿へ。
【5】櫛引八幡宮拝殿。平坦な石畳の参道が延びる。正面賽銭箱の位置は参道より2段高い。
【5-1】拝殿正面の段差
【6】拝殿脇は玉砂利敷で、本殿裏まで一周できるようになっている。
【7】二の鳥居左方向の舗装道(帰路)沿いに真新しいトイレ棟。身障者用トイレあり。
【7-1】身障者用トイレ内部




境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 絵馬殿 合祀殿 神明宮 仮殿 三杉 松福稲荷 悶破稲荷 春日社 長所 夫婦杉 正門 二の鳥居 社務所 明治記念館 国宝館 祖霊舎 一の鳥居 神社前バス停 国道104号 三戸 八戸市街

移動のしやすさ

★★★★★

バリアフリーの状況

櫛引八幡宮は一の鳥居を入った境内に駐車場があるほか、身障者用トイレも整備されている。他にもいくつか駐車場があるが、境内の駐車場からであれば、拝殿へ行くのにもそれほど長い距離を移動しないで済む。また拝殿の周囲は石畳の参道部分を除くと玉砂利だが、おおむね平坦で車椅子でも十分に移動が可能である。

周辺の名所・観光スポット

史跡根場の広場

南北朝時代に南朝方の武将・南部師行が築いた平山城の跡。その後も江戸時代前期まで300年間存続し、領地替えに伴い廃城となった。土塁や井戸などが残り、当時の建物は既にないが主殿、工房、馬屋などが復原され、内部では正月の武家の儀式の様子などを人形や調度品を用いて解説している。国指定史跡。
【身障者用トイレ・駐車場・簡易なスロープ・車椅子貸出(主殿内)あり】

■参考リンク:八戸市博物館>史跡根場の広場

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このページの執筆者
@tabisora110