四條畷神社

2023年7月29日神社

四條畷神社は、大阪府四條畷市にあり、南朝の忠臣として知られる楠木正行を祀っています。「四條畷の戦い」において北朝方の高師直らに破れた楠木正行はこの地で自害し、「楠塚」に葬られたと伝えられますが、明治時代に入ると改めて顕彰が行われるようになり、明治23年(1890)に飯盛山麓にこの神社が創建されました。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:34.7324, 経度:135.6492

旅行先の概要

御祭神 楠木正行公ほか24柱
所在地 大阪府四條畷市南野2-18-1
交通 第二京阪道路「寝屋川南IC」から車で約15分
近畿日本鉄道けいはんな線「新石切駅」から近鉄バス(四条畷線)で約20分、「四條畷神社前」停留所下車、徒歩約13分
拝観料 無料
駐車場 正面鳥居右手の舗装された坂道を登ると境内に無料駐車場がある。
URL
連絡先 四條畷神社 072-876-0044

歴史・由来

四條畷神社は、大阪府四條畷市にあり、南朝方の忠臣として知られる楠木正行を祀っています。

正平3年(1348)、「四條畷の戦い」において北朝方である室町幕府執事・高師直らに破れた楠木正行はこの地で自害し、遺骸は「楠塚」にひっそりと葬られ、小さな墓碑の左右にクスノキが植えられたと伝えられています。

明治時代に入ると、南北朝正閏論争が盛んになる中で、改めて建武中興に尽くした南朝方の武将たちの顕彰が行われるようになり、とりわけ功績の大きかった楠木正成・楠木正行父子はそれぞれ「大楠公」「小楠公」として尊崇を集めました。

楠木正行の墓とされる「楠塚」は、既に江戸時代にも貝原益軒の『南遊紀行』に「此所に楠正行、正時兄弟の墓あり(中略)小石碑を立、大なる楠木あり」と紹介されていますが、明治7年(1874)からは大々的な拡張整備が開始されました。

工事が完成をみた明治11年(1878)には、大久保利通の揮毫による「贈従三位楠正行朝臣之墓」の石碑が建てられ、現在も「小楠公御墓所」として知られています。

さらに住吉平田神社の神主・三牧文吾らは楠木正行を祭神とする神社創建の嘆願活動を行い、明治22年(1889)に勅許を得て、翌年の明治23年(1890)、住吉平田神社南隣の飯盛山麓に四条畷神社が誕生しました。

車椅子で旅行するポイント

【1】四條畷神社の正面参道は石段が続くが、右脇の舗装された坂道から境内に自動車での進入が可能。
【2】坂道は急勾配で幅員も狭いので運転は要注意。
【3】参道途中にトイレがあるが身障者用ではないので利用不可。
【4】境内まで自動車で進むと駐車スペースが用意されている。
【5】境内はおおむね平坦で参道部分に石畳が敷かれている。
【6】鳥居下には段差があるが、段差にあわせて土を固めて嵩上げされている。
【7】四條畷神社拝殿。平坦な石畳の先に4段ほどの石段がある。賽銭箱は段上に設置。





境内配置図 [凡例]
本殿 御妣神社 拝殿 鳥居 楠公慰霊塔 手水舎 楠天神社 有源招魂社 社務所 四條畷神社会館 飯盛山登山口 トイレ 駐車場 民家 四條畷神社前交差点 府道20号線 府道162号線 小楠公御墓所

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

四条畷神社は飯森山麓の高台に位置し、表参道正面には石段が続いているが、脇の坂道を自動車で登れば境内駐車場まで乗入れが可能である。境内は参道部分に石畳が敷かれ、他の部分もおおむね平坦である。ただし、境内には身障者用トイレがないほか、拝殿正面の賽銭箱前には4段の石段がある。

周辺の名所・観光スポット

石切劔箭神社

石切劔箭神社は、大阪府東大阪市にある式内社で、饒速日尊と可美真手命を「石切大明神」として祀ります。「でんぼの神さん」とも呼ばれ、腫れ物を治癒させてくれる御利益があるとされています。参道沿いには「石切参道商店街」が展開し、食品や漢方薬、占いなどの個性豊かな店舗が並んでいます。
【身障者用トイレ・スロープあり】

■参考リンク:石切劔箭神社

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このページの執筆者
@tabisora110