武水別神社

2023年8月10日神社

武水別神社は、長野県千曲市に鎮座する式内社、信濃国四宮で、武水別大神を主祭神としています。平安時代に八幡神が勧請されたと伝えられ、武門の神として源氏をはじめとする武家の崇敬を集めました。12月に開催される「大頭祭」は、少なくとも安土桃山時代からの伝統を有することがわかっており、国の選択無形民俗文化財となっています。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:36.519467, 経度:138.102975

旅行先の概要

御祭神 主祭神:武水別大神
相殿神:誉田別命、息長足比売命、比咩大神
所在地 長野県千曲市大字八幡3012
交通 JR篠ノ井線「姨捨駅」又はしなの鉄道「屋代駅」から千曲市循環バス(姨捨線)で10分から25分(所要時間は便により異なる)、「八幡」停留所下車すぐ
上信越自動車道「更埴IC」から車で約10分
拝観料 無料
駐車場 境内中鳥居近くに10台、大鳥居近くに30台、境外更科川沿いに60台、ほか境内社務所前に交通安全祈祷用として6台あり(無料)
URL
連絡先 武水別神社 026-272-1144

歴史・由来

武水別神社は、長野県千曲市に鎮座する神社で、武水別大神を主祭神として祀っています。

詳しい創建年代は不明ですが、孝元天皇の時代に鎮斎されたと伝えられており、平安時代の『日本三代実録』には貞観8年(866)6月に従二位の神階に昇ったことがみえ、『延喜式』神名帳にも信濃国更級郡の名神大社として記されています。

また、その後の安和年間(986~970)には、石清水八幡宮から誉田別命・息長足比売命・比咩大神のいわゆる八幡神が勧請され、相殿に祀られたということです。

八幡神は武門の神として知られることから武家の崇敬が篤く、『源平盛衰記』には養和元年(1181)の横田河原の合戦に際し、木曽義仲が「兜を脱ぎ腰を屈して八幡社を伏し拝」んで戦勝祈願をしたと記されており、江戸時代の慶安元年(1648)にも将軍・徳川家光から社領200石の朱印状を賜っています。

天保13年(1842)9月、御供所からの出火で境内のほとんどの建物を焼失しましたが、このとき類焼を免れた摂社高良社本殿は、室町時代末期の一間社流造の建築物であり、長野県宝に指定されています。

一方で火災後の嘉永3年(1850)に再建された本殿は、諏訪の宮大工・立川和四郎富昌が手掛けたもので、建物の内外を飾る精巧な彫刻は、この神社の見どころの一つです。

毎年12月10日から14日にかけて斎行される新嘗祭は「大頭祭」と呼ばれ、少なくとも安土桃山時代からの伝統を有することがわかっており、国の選択無形民俗文化財となっています。

氏子の中から選ばれた「頭人」が中心となって行うことからこの呼び名があり、各種の神饌・供物を運ぶため、頭人らの行列が斎ノ森神社から武水別神社までの道のりを練り歩く、いわゆる「お練り」で盛り上がります。

車椅子で旅行するポイント

【1】武水別神社の大鳥居は県道上に建っており、すぐ先の太鼓橋の横から自動車のまま境内に入れる。
【2】境内に入ると中央に石畳の参道があり、参道をまたいで東側が駐車場となっている。
【3】参道をそのまま進むと中鳥居近くにトイレ棟があり、身障者トイレを併設する。
【4】身障者トイレ内部
【5】県道沿いのバス停脇には交通安全祈願自動車出入口があり、こちらからも自動車のまま境内に入れる。
【6】【5】を入るとすぐ北側に勅使殿・拝殿・本殿が並んでおり、一般参拝者も南側中鳥居前の駐車場が使える。
【7】武水別神社の本殿付近。賽銭箱前は4段の石段があるが、足元は石畳で舗装され平坦。





境内配置図 [凡例]
本殿 祭儀所 拝殿 勅使殿 社務所 御供所 交通安全祈祷用駐車場 額殿 十二神社 御新宮 中鳥居 手水舎 総代会館 川中島の戦い初戦の地八幡碑 東屋 摂社高良社 うづらや 太鼓橋 大鳥居 更級川 県道77号線

移動のしやすさ

★★★★★

バリアフリーの状況

武水別神社は平坦地にある上、自動車のまま境内の駐車場に入れる。特に社務所・拝殿・本殿の周囲はコンクリートや石畳で全面的に舗装されてるため、移動も容易である。境内中鳥居の近くには身障者トイレもある。

周辺の名所・観光スポット

姨捨の棚田

「姨捨の棚田」は、千曲市姨捨地区の標高500メートルほどの斜面に営まれた棚田群で、名月を鑑賞できる場所として昔から知られていた。特に、不揃いな形状の棚田に張られた水に映る月は、田一枚ごとに趣きが異なることから、「田毎の月」と呼ばれ多くの文人墨客がこの地を訪れた。付近の姥捨山長楽寺には松尾芭蕉らの歌碑が並ぶ。
【長楽寺向かい姨捨観光会館前に身障者用トイレあり】

■参考リンク:千曲市>姨捨の棚田とは?

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このページの執筆者
@tabisora110