遠野郷八幡宮
遠野郷八幡宮は、岩手県遠野市に鎮座する神社で、奥州征伐で戦功があったとして源頼朝から遠野の地を賜った阿曽沼氏が、城の鎮護として八幡宮を勧請したのがはじまりと伝えられています。江戸時代に南部氏支配となって以後も武門の神として崇敬が篤く、現在地に遷座の上で流鏑馬を奉納するための馬場が造営されています。
旅行先の地図
(この地図の緯度:39.3428058, 経度:141.5452319)
旅行先の概要
御祭神 | 誉田別尊 |
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所在地 | 岩手県遠野市松崎町白岩23-19 |
交通 |
釜石自動車道「遠野IC」から車で約10分 JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(附馬牛線)経由で約12分、「八幡」停留所下車、徒歩約5分 (帰りは「八幡神社前」停留所から岩手県交通バス(土渕線)経由で約12分、「遠野駅前」停留所下車) |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 社務所前に舗装された無料の参拝者駐車場あり、他にも県道挟んで反対側などに駐車場あり |
URL | 遠野郷八幡宮 |
連絡先 | 遠野郷八幡宮 0198-62-2647 |
歴史・由来
遠野郷八幡宮は、岩手県遠野市に鎮座する神社で、文治5年(1189)、奥州征伐で戦功があったとして源頼朝から遠野十二郷の地頭職を賜った阿曽沼広綱(本貫は栃木県佐野市)が、この地に代官を派遣し、館を築いて八幡神を祀ったのがはじまりとされ、その後、遠野に定住しはじめた子孫の阿曽沼親綱が横田城(護摩堂城)を築いた際、城の東北の方角に八幡宮を勧請し、城の鬼門除けとしたと伝えられています。
江戸時代には遠野一帯は南部氏の所領となりますが、根城南部氏が八戸から転封して以後も武門の神として崇敬が篤く、南部直栄は寛文元年(1661)、現在地に遷座させるとともに、馬場を造営して流鏑馬を奉納するようになり、これは現在も、「遠野まつり」と同時開催される9月の遠野郷八幡宮例祭の折に境内で奉納され、多くの観光客を集めています。
また、日本の民俗学の父として知られる柳田國男が、遠野在住の佐々木喜善が語った当地の民話をまとめた『遠野物語』(110話)にも、「ゴンゲサマというは、神楽舞の組ごとに一つずつ備われる木彫の像にして、獅子頭とよく似て少しく異なれり。甚だ御利生のあるものなり。」として、「新張の八幡社の神楽組のゴンゲサマ」、すなわち遠野郷八幡宮の年越祭で奉納される獅子舞のような民俗芸能について触れています。
車椅子で旅行するポイント
社殿 新世伝 十二支社 天満宮 祓殿 神楽殿 不動神社 渡回廊 東参道 西参道 馬場 枡形 庭園 鳩集殿 社務所 手水舎 表参道 八幡神社前バス停 国道340号 顕功神社 カッパ淵 遠野市総合福祉センター 遠野駅 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
遠野郷八幡宮を駐車場のある市道側から入るのであれば、社殿に向かって石段があるので、馬場から迂回するようになるが、大きな境内なので二の鳥居から拝殿前まで距離的に300メートルほどになる。東西の参道は公道に接続していて、不動神社がある裏手の東参道は邪魔にならず自動車で回り込むことができる。社務所に事前に連絡しておけば、福祉車両を本殿の手前まで乗り入れる便宜を図ってもらえる。特に流鏑馬が奉納される例祭のときには、通常の社務所前の駐車場の利用や馬場の通行などが困難なため、かならず事前に連絡して確認することが必要である。身障者トイレは600メートル西側の遠野市総合福祉センターのものを利用できる。
周辺の名所・観光スポット
伝承園
伝承園は、遠野の生活文化を後世に継承することを目的とした施設で、語り部による昔話や民芸品の製作実演などが体験できる。園内には、国の重要文化財に指定されている「菊池家曲り屋」、『遠野物語』の著者で民俗学者の「柳田國男展示館」、同じく話者の「佐々木喜善記念館」などのほか、オシラサマを千体ほど展示している「オシラ堂」があり圧巻である。食事処では「ひっつみ」などの郷土料理を堪能できる。
【身障者用トイレ・簡易スロープ・車椅子貸出あり。建物入口の敷居などに一部段差あり。】
■参考リンク:伝承園