長国寺

長国寺 寺院
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長国寺は、長野県長野市にある曹洞宗の寺院です。真田幸綱(幸隆)が開基したという松代藩真田家の菩提寺であり、境内には江戸時代に建てられた初代藩主・真田信之らの御霊屋が残り、国重要文化財に指定されています。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 釈迦牟尼仏
所在地 長野県長野市松代町松代1015-1
交通 上信越自動車道「長野IC」から車で5分
JR・しなの鉄道・長野電鉄「長野駅」からアルピコ交通(松代線)乗車30分、「松代中町」停留所下車、徒歩5分
拝観料 境内無料(真田家御霊屋・墓地拝観は予約制で有料)
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり
URL
連絡先 真田山長国寺 026-278-1270(拝観専用)

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歴史・由来

長国寺は、長野県長野市にある曹洞宗の寺院で、山号を真田(しんでん)山といい、松代藩真田家の菩提寺として知られます。

天文16年(1547)、真田幸綱(幸隆)が伝為晃運を開山に招き、信濃国小県郡真田郷(今の長野県上田市)の松尾城内に「長谷寺」を建立したのがはじまりです。伝為晃運はかつて、葛尾城主・村上義清に敗れて上野国群馬郡長野郷(今の群馬県高崎市)の箕輪城に亡命していた真田幸綱を世話した縁があり、開山に迎えられたと伝えられています。

江戸時代の元和8年(1622)には真田幸綱の孫に当たる真田信之が松代藩の初代藩主となったことから、この寺も松代の地に移され、寺号を「長国寺」と改めました。

寛永5年(1628)には信濃国の曹洞宗800か寺を統括する僧録所となり、慶安2年(1649)には幕府から朱印地100石を、元禄6年(1693)には藩から法幢料200石を賜るなど、幕府や藩の庇護を受け栄えましたが、火災により七堂伽藍を焼失し、現在の本堂は明治時代に入ってから再建されたものです。

境内には江戸時代の万治3年(1660)に建立された入母屋破風造りの真田信之御霊屋が現存し、国重要文化財に指定されているほか、霊屋の奥には真田家墓所があり、歴代当主の宝篋印塔などが並んでいます。

また、松代藩主・真田幸弘の時代に藩政改革を主導し、清貧をもって知られた家老・恩田民親の墓も境内墓地の一角にあります。

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車椅子で旅行するポイント

長国寺_1.jpg 【1】長国寺の総門前。石段3段があるので両脇の駐車場に迂回する。
長国寺_2.jpg 【2】総門脇の駐車場の奥に砕石敷きの車道があり、これを抜けると境内に至る。
長国寺_3.jpg 【3】境内は平坦で参道部分はコンクリート又は石畳で舗装されている。
長国寺_4.jpg 【4】長国寺の本堂前。賽銭箱前に4段の石段がある。



長国寺境内図

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境内配置図 [凡例]
六地蔵 総門 地蔵堂 山門跡 僧堂 放光殿 本堂 開山堂 庫裡 方丈 土蔵 墓地 鐘楼 真田信之霊屋 真田信弘霊屋 真田家墓所 恩田木工民親の墓 長野県道35号長野真田線 松代藩鐘楼

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

長国寺は総門に階段はあるものの、その両脇の駐車場奥から砕石を敷いた車道が境内に延びており、階段を迂回することができる。境内はほぼ平坦で参道部分はコンクリート又は石畳で舗装されている。車椅子用のトイレは長国寺の西400メートル先の「松代藩鐘楼」前にある。

周辺の名所・観光スポット

松代城跡

「松代城跡」は、長野県長野市にある平城の跡で、千曲川沿いにあります。川中島の戦いの折に武田方の拠点として築城されたといわれ、当時は「海津城」とよばれました。元和8年(1622)に信濃国上田から真田信之が移封されて松代藩主となり、以後明治維新まで真田氏が支配するところとなりました。現在は一帯が「松代城公園」となっており、本丸正面の「太鼓門」などが復元されています。
【身障者用駐車区画・トイレ・スロープあり】

■参考リンク:真田宝物館>松代城跡

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