志度寺

2014年3月18日寺院

志度寺は、香川県さぬき市にある真言宗の寺院で、四国霊場第86番札所です。謡曲『海人』にある「海女の玉取り伝説」を伝え、志度湾に面した境内には海女の墓や大名・生駒親正の墓があります。江戸時代の本堂や仁王門は国重要文化財です。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

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御本尊 十一面観世音菩薩
所在地 香川県さぬき市志度1102
交通 高松自動車道「志度IC」から車で約10分
拝観料 境内無料
駐車場 寺院北側の弁天堂わきに砕石敷の無料駐車場、寺院南側の居宅介護事業所前に舗装済みの無料駐車場(収容台数:50台)あり
URL
連絡先 志度寺 087-894-0086

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歴史・由来

志度寺(しどじ)は、香川県さぬき市にある真言宗の寺院で、四国霊場第86番札所です。(なお、浄瑠璃や歌舞伎に登場するなかで、「志度寺」、「志渡寺」、「しどじ」、「しどうじ」、「しどでら」などといった表記や読みの揺れが生じています。)

縁起によれば、凡園子(おおしそのこ)尼が志度湾に流れ寄る霊木をもって本尊の十一面観音を刻み、推古天皇33年(626)に建立したとされ、天武天皇10年(681)には藤原鎌足の子・藤原不比等が堂宇を増して「志度道場」と名付けたといいます。

志度寺に受け継がれた藤原不比等にまつわる伝説に「玉取りの海女」があります。

不比等の妹は唐の皇帝の妃となり、3つの宝を携えて日本に帰るものの、「面向不背の珠」という宝珠のみは志度湾で竜神に奪われてしまい、不比等はその奪還のために身をやつしてこの地にやってきます。やがて地元の海女と結婚しますが、不比等の意を汲んだこの海女は、海中に潜って竜宮にたどりつき、自らの乳房を短刀で掻き切り、宝珠を乳房に隠して地上に戻るものの、力尽きて息絶えてしまうという物語です。

この伝説は世阿弥の作か、あるいはそれ以前からあったとされる謡曲『海人』として収められ、室町時代には広く世に知れ渡っていました。

この時代、四国を治めた管領の細川氏による寄進により志度寺は繁栄しますが、のち戦乱により荒廃したため、近世、高松城主となった生駒親正により再興されます。なお、生駒親正は藤原氏の、また伝説の海女の末裔として志度寺をことに崇敬しており、海女の墓及び親正の墓とされる五輪塔がそれぞれこの寺の境内にあります(菩提寺・弘憲寺にも生駒親正墓所あり)。

志度寺の仁王門及び本堂は、寛文10年(1671)、生駒氏の後に高松城主となった松平頼重の寄進によるもので、現在では国の重要文化財に指定されています。

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車椅子で旅行するポイント

志度寺【1】志度寺の仁王門。正面は階段につき、多少段差はあるが右脇の建物との隙間から境内に入るか、又は他の平坦な入口から境内に入る。
志度寺【2】志度寺向かいにある志度湾沿いの公衆トイレ。スロープと身障者用トイレがある。
志度寺【3】トイレの反対側には志度寺の未舗装駐車場があり、ここから段差なく境内に入れる。
志度寺【4】志度寺北側の未舗装駐車場から海女の墓、五重塔、奪衣婆堂を経て境内本堂方面への平坦な参道へ。
志度寺【5】志度寺本堂、右脇に大師堂。手前まで石畳の平坦な参道。堂の正面は階段で、賽銭箱は階段の上にある。
志度寺【6】仁王門を右折し居宅介護事業所前の舗装駐車場からも境内に入る平坦な参道がある。ただし、庫裡への通路は段差あり。


志度寺境内図

周辺の名所・観光スポット

高松城址(玉藻公園)

天正15年(1587)、豊臣秀吉から讃岐一国を賜った生駒親正が築城に着手し、「生駒騒動」で生駒家が改易となった後は高松藩松平家代々の居城となった。瀬戸内海に面し舟入なども設けられた水城で、「日本三大水城」の一つとされる。国指定史跡。
【身障者用トイレ・スロープ・駐車場あり。ただし、天守台は階段あり車椅子不可。】

■参考リンク:高松市>高松城(玉藻公園)

このページの執筆者
@tabisora110