宗吾霊堂(東勝寺)

2016年4月7日寺院

宗吾霊堂は、正しくは「鳴鐘山東勝寺」という千葉県成田市の寺院で、江戸時代に佐倉藩の圧政から領民を救うため、将軍に直訴して処刑された佐倉宗吾の菩提寺であることからそのように呼ばれています。東勝寺境内には、佐倉宗吾の墓があるほか、蝋人形で義民・佐倉宗吾の伝説を紹介する「宗吾御一代記館」が建てられています。また、毎年6月には「宗吾霊堂紫陽花まつり」も開催され、多くの観光客でにぎわいます。

旅行先について

地図

旅行先の概要

本尊 大日如来
所在地 千葉県成田市宗吾1-558
交通 東関東自動車道「富里IC」から車で約20分
京成「宗吾参道駅」から徒歩で約20分(ただし舗装された長い坂道、駅にバリアフリー設備なし)
JR「成田駅」もしくは京成「成田駅」から千葉交通バス(宗吾霊堂線)15分、または京成「公津の杜駅」から千葉市コミュニテイバス(北須賀ルート)5分、「宗吾霊堂」停留所下車すぐ
拝観料 無料
ただし、「宗吾御一代記館」「宗吾霊宝殿」は共通料金で大人700円、小中学生400円
駐車場 正面左折すると舗装済みの境内駐車場入口があります。駐車無料です。
大型バス駐車場は別に正面右折した道路沿いの境外にあります。
URL
連絡先 宗吾霊堂慈眼閣(総合事務所) 0476-27-3131

歴史・由来

宗吾霊堂は、正しくは「鳴鐘山医王院東勝寺」という千葉県成田市の真言宗豊山派の寺院で、義民・佐倉宗吾ゆかりの寺院であることから、このように呼ばれています。

もともとは桓武天皇の時代、征夷大将軍である坂上田村麻呂が房総地方を平定した際、戦死者の供養のために建立されたと伝えられていますが、江戸時代の寛文2年(1662)になって澄祐(ちょうゆう)和尚により再興されています。

承応元年(1652)、当時の公津村(現在の千葉県成田市台方)の名主であった木内惣五郎は、凶作下で年貢の取り立てが厳しく難儀している百姓を救うため、佐倉藩に窮状を訴えますが聞き入れられず、さらに上野寛永寺に参詣する途中の4代将軍・徳川家綱を狙って直訴を決行します。

訴状は側近の保科正之に受け取られ、年貢減免は実現したものの、将軍への直訴はご法度につき、惣五郎は磔、その子供も打ち首となり、のちに怨霊と化して下総佐倉12万石の藩主・堀田正信を襲い、ついに堀田正信を改易(無断帰城が原因)、狂死(鋏で喉を切って自殺、4代将軍・徳川家綱への殉死とも)へと導いたとされています。

その木内惣五郎の遺骸は、澄祐和尚によって公津ヶ原刑場のあった場所に埋葬されますが、これが現在の東勝寺境内であり、参道沿いには後の時代になって木内惣五郎(佐倉宗吾)の墓も設けられています。

もっとも、江戸時代の公津村に惣五郎という名主がいたことは「公津村名寄帳」などから明らかながら、一揆については今のところ史実としては確認されていません。

延享3年(1746)になって、堀田正信の弟の家系にあたる堀田正亮が出羽山形から下総佐倉に国替えとなりますが、宝暦2年(1752)は惣五郎の百周忌にあたることから、怨霊をなだめるために将門山大明神に「口の明神」(口の宮)として惣五郎を祀り、あわせて「宗吾」と追諡し、以後は「佐倉宗吾」として知られるようになります。

文化3年(1804)正月には、藩主・堀田正時から佐倉宗吾の子孫である木内利左衛門に対して、5石余(7反1畝15歩)の供養田が与えられ、今も宗吾旧宅から成田ニュータウンに至る途中にその水田があります。

佐倉宗吾の伝説は、『地蔵堂通夜物語』、『堀田騒動記』などとして人口に膾炙したほか、歌舞伎の「東山桜荘子」の題材としても採り上げられ、ますます広まるようになりました。

現在、東勝寺境内には佐倉宗吾の墓のほか、本堂、薬師堂、聖天堂、慈眼閣、仁王門、鐘楼堂、奥之院といった建造物があり、さらには名寄帳、過去帳などの品々を収めた「宗吾霊宝殿」、蝋人形で義民・佐倉宗吾の伝説を紹介する「宗吾御一代記館」も建てられています。

また、東勝寺本堂の裏手には7,000株の紫陽花園が整備されており、毎年6月に「宗吾霊堂紫陽花まつり」が開催され、多くの観光客でにぎわいます。

車椅子で旅行するポイント

【1】宗吾霊堂入口。宗吾参道駅からの道路は丁字路で突き当たる。入口は段差のため左折して普通車駐車場へ。大型車駐車場は右折。
【2】宗吾霊堂の普通車無料駐車場。舗装され平坦。トイレ棟があり身障者トイレを併設。大型車駐車場にも身障者トイレあり。
【3】(身障者用トイレ内部)
【4】普通車駐車場から平坦な参道が延び、正面に佐倉宗吾の墓や土産物店がある。境内参道は基本的に舗装され平坦。
【5】仁王門の下部も段差なく車椅子でも通行できる。
【6】宗吾霊堂の本堂まではこのように平坦な参道がつづき、周囲も玉砂利だが平坦。
【7】宗吾霊堂本堂は四方が階段のため、車椅子は本堂下で参拝。裏に御一代館などあるが同様に階段あり。




境内配置図 [凡例]
大本堂 霊宝殿 宗吾御一代館 奥之院 聖天堂 薬師堂 鐘楼堂 授与所 大本坊 慈眼閣 仁王門 宗吾様御廟(宗吾の墓) 宗吾霊堂バス停 国道464号 宗吾霊堂前交差点 宗吾参道駅 印旛沼 麻賀多神社 公津の杜 成田駅

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

宗吾霊堂の境内に駐車場から入れば、平坦な参道が山門以降も続き、大きな段差もないことから、車椅子でも参拝は容易です。ただし、本堂などの建物には高い階段があるため、建物の上までは登れません。身障者用トイレは普通車、大型車の駐車場の両方に併設されています。

周辺の名所・観光スポット

成田山新勝寺

平安時代、平将門を調伏するために京から派遣された寛朝大僧正が天慶3年(940)に開山したとされる真言宗智山派の大本山。弘法大師が一刀三礼で彫刻したという不動明王像を祀ります。「成田屋」こと市川團十郎ら歌舞伎界でも厚く信奉され、年間1,000万人の参詣者を集めます。
【身障者トイレ・スロープ・エレベーターなどがありバリアフリー化されている。】

■参考リンク:大本山成田山

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このページの執筆者
@tabisora110