麻賀多神社(手黒社)
麻賀多神社は、千葉県の旧印旛郡内にある「麻賀多十八社」の総本社で、成田市台方にある同名の麻賀多神社の奥宮とされています。境内には神社を創祀した初代印旛国造・伊都許利命の墓と伝わる公津原古墳群に属する方墳が残るほか、樹齢600年ほどの御神木の大杉があります。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 稚日孁命 |
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所在地 | 千葉県成田市船形834番地 |
交通 | 東関東自動車道「成田IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 市道挟んで砕石が敷かれた無料の参拝者駐車場あり(くすのき幼稚園第2駐車場と共用) |
URL | 船形麻賀多神社 |
連絡先 | 船形麻賀多神社氏子総代会(山崎会長) 090-2557-1417 |
歴史・由来
麻賀多神社(まかたじんじゃ)奥宮は、千葉県成田市船形にある神社で、旧印旛郡内に18社ある「麻賀多十八社」の総本社として知られる延喜式内社です。
日本武尊が東征の際、鏡を杉の木のうろに掛け、その木の根元に7つの勾玉を埋めて伊勢神宮を遥拝し、豊作を祈願したのがはじまりとされており、『千葉県印旛郡誌』には神主の太田家所蔵文書として神代文字で書かれた縁起がそのまま掲載されています。
これによれば、応神天皇20年(289)、印旛国造に任じられた伊都許利命(いつこりのみこと)は、日本武尊の教えに従い鏡を御神体として稚日孁命(わかひるめのみこと)を祀るとともに、夢告により地中から掘り出した勾玉を御神体として稚産霊命(わくむすびのみこと)を「まかたまの大神」として併せて祀っています。
のち推古天皇16年(608)、伊都許利命8世の孫にあたる広鋤手黒彦が、南方1キロほど離れた稷山(あわやま)に社殿を造営して遷座し、これが現在の成田市台方にある麻賀多神社(稷山社、台方社、大宮殿ともいう。)となりますが、成田市船形の麻賀多神社(手黒社:旧地名の船形村字手黒に由来、瀛津宮:おきつみや、船形社ともいう。)も残って奥宮としての扱いになります。
また、『延喜式』編纂の際、「真賀多真」というのが皇室のシンボルである「三種の神器」のひとつの八尺瓊勾玉と同名で畏れ多いことから、以後は「麻賀多神社」を称したともいいます。
社殿の右手にある高さ5メートル、約36メートル四方の7世紀に築造されたと推定される方墳の公津原第39号墳は、考古学的には時代は合わないものの印旛国造・伊都許利命の墳墓と伝承され、江戸時代の元文2年(1737)に佐倉藩儒者の磯部昌言が撰文した「伊都許利命碑誌」が山上に造立されているほか、出土した石棺の一部も古墳の傍らに石祠とともに祀られています。
境内にはそのほかにも社殿の裏手に御神木の大杉があり、高さは約40メートルで樹齢は600年ほどと推定されています。
車椅子で旅行するポイント
社殿 大杉 加志波比売神社 八代稲荷神社 祓戸神社 香取神社 高津神社 粟生日神社 世直神社 熊野神社 菅原神社 石盥盤:安永4年泉水荘左衛門奉納 伝伊都許利命墳墓 金刀比羅神社 伊都許利命碑誌 石櫃:古墳出土 お休み処 仮設トイレ くすのき幼稚園 園庭 くすのき幼稚園駐車場・麻賀多神社駐車場 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
麻賀多神社前は坂道につき注意は必要だが、境内入口に設置された車止めの直前で降車すれば玉砂利が敷かれた段差のない参道を移動できる。社殿に向かう経路の途中に石段があるが、脇道を通れば回避できる。石段から社殿前までは舗装され、その周囲の境内は地面が露出しているが大きな段差はない。
周辺の名所・観光スポット
千葉県立房総のむら
「千葉県立房総のむら」は、房総の伝統的な生活様式や技術を体験しながら学習するとともに、千葉県内で出土した考古資料や江戸時代の商家・農家・武家屋敷の町並みの復元展示などを通じて地域の歴史文化への理解を深めるための博物館施設です。敷地内には印波国造が造営したとみられる114基からなる龍角寺古墳群、方墳としては桝山古墳に次ぐ全国最大クラスの国史跡岩屋古墳が含まれるほか、風土記の丘資料館では埴輪などの出土品が見られます。
【多目的トイレ(オストメイト対応)・身障者用駐車場・スロープ・車椅子貸出あり。障害者手帳提示で本人および介助者1名無料】
■参考リンク:体験博物館 千葉県立房総のむら