南湖神社
南湖神社は、福島県白河市にある神社で、江戸時代中期の「寛政の改革」を行ったことで知られる松平定信公を祀っています。もともと陸奥白河藩主であったことから、地元有志の呼びかけにより、大正大礼記念として、ゆかりの場所にあたる南湖公園内に社殿が造営されたものです。自然の豊かな景観が広がる南湖公園は国の史跡・名勝であるとともに、一帯を含めて南湖県立自然公園にも指定されています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 守国大明神(松平定信公) |
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所在地 | 福島県白河市菅生舘2 |
交通 |
東北自動車道「白河IC」または「白河中央スマートIC」から車で約10分 東北新幹線・東北本線「新白河駅」から白河市循環バス「こみねっと」(中循環(2)コース)経由で約10分、「南湖公園」停留所下車、徒歩約5分 東北本線「白河駅」から白河市循環バス「こみねっと」(中循環(1)コース)経由で約19分、「南湖東口」停留所下車、徒歩約5分 |
拝観料 | 境内無料。ただし、「南湖神社宝物館」は入館料として一般350円、中高生200円、「松風亭蘿月庵」は拝観料300円。 |
駐車場 | 境内にアスファルト舗装および砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 南湖神社 |
連絡先 | 南湖神社 0248-23-3015 |
歴史・由来
南湖神社は、福島県白河市にある神社で、江戸時代中期の「寛政の改革」を行ったことで知られる松平定信公を「守国大明神」の御神号でお祀りしています。
松平定信(楽翁)公は徳川御三卿の田安家から養子に出されて陸奥白河藩の第3代藩主となりましたが、藩主時代には小峰城の南側にあった大沼と呼ばれる湿地帯を浚渫し、水田灌漑用のため池を兼ねた巨大庭園「南湖」を造成して、「士民享楽」の理念のもとで士農工商すべての人々に開放しています。
このことから南湖は「日本最古の公園」の異名をもち、現在では国の史跡・名勝および一帯を含めた南湖県立自然公園の指定を受けており、市内随一の観光スポットとして、江戸時代から続く名物の「南湖だんご」などを売る店や、食堂、旅館などが並んでいます。
大正時代には大礼(天皇の即位)記念として、のちに南湖神社初代社司となる中目瑞男ほか地元有志によって、松平定信公の遺徳を顕彰する目的をもって、ゆかりの地である南湖公園の保存と、公を祭神として祀る社殿の造営を目指す運動が持ち上がります。
このとき「日本資本主義の父」ともいわれる実業家の渋沢栄一のもとを当時の白川町長以下が訪れて寄付を依頼していますが、「寛政の改革」で江戸市中の貧民救済のために導入された「七分積金」が明治以降の東京市のインフラ整備の財源としても活用されていたことに感銘を受けた渋沢栄一は、もとよりその趣旨に賛同して多額の寄付を行っています。
こうして大正11年(1922)に南湖神社が創建され、鎮座祭の当日には御神体とされた松平定信公遺愛の短刀が白河駅から提灯行列で迎えられて南湖公園内に到着しています。渋沢栄一自身も鎮座祭に参列したほか、その後も「南湖神社奉賛会」の総裁に就任するなど終始協力を惜しみませんでした。
現在の南湖神社境内には樹齢約200年と推定される枝垂桜の「楽翁桜」があり、南湖周囲の桜の植栽とあいまって、春の花見の名所として知られているほか、松平定信公がしばしば訪れた茶室「松風亭蘿月庵」(しょうふうていらげつあん)も残されています。また、「南湖神社宝物館」には松平定信公直筆の書画や自画像、その他神社に奉納された日本画の名品などが展示されています。
松平定信公は生前に旗本などの学問を奨励したことから学業成就の神として、また越後柏崎などの飛地領から白河本領の百姓に嫁をあっせん(縁付)したことから縁結びの神として、そのご利益に与ろうとする参詣者が多く訪れます。
車椅子で旅行するポイント
御本殿 拝殿 南湖稲荷神社 社務所・参集殿 松風亭蘿月庵 手水舎 南湖神社宝物館 楽翁桜 御祭神石像 日本庭園翠楽苑 受付所 楽翁会館 中池 四阿 上池 松楽亭 秋水庵 湿生園 南湖 明治記念博物館:明治時代の西白河郡役所建物で1階はカフェ(Lamp Cafe) 藤田記念博物館 魔法のランプ 荻原屋 水月 共楽亭:松平定信が鏡山中腹に建てた茶亭 南湖公園駐車場 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
南湖神社は正面は石段だが、奥の参集殿前の駐車場に直接車で入れるようになっている。拝殿の位置はさらに高い場所のため、無理なく移動できるのはこの参集殿下までだが、松風亭蘿月庵の前を通って拝殿に至る、車1台幅の砂利敷の裏参道もある。南湖神社に隣接して日本庭園翠楽苑があり、身障者用トイレはこの園内のものを利用できる。
周辺の名所・観光スポット
白河小峰城
白河小峰城は、福島県白河市にある平山城で、国史跡に指定されているほか、「日本100名城」の一つにも数えられます。南北朝時代に阿武隈川沿いの小峰ヶ岡と呼ばれる高台に結城親朝が築城したのがはじまりで、江戸時代初期に丹羽長重が大規模な改築を行い、総石垣造りの堅固な城郭を整備しました。
古代には鼠ヶ関(念珠関)、勿来関と並んで「奥州三関」とされる関所があった白河の地は、江戸時代にも奥羽地方の外様大名への固めとして重要な拠点であり、小峰城主となる大名家も頻繁に交代しています。「寛政の改革」を推進した老中首座の松平定信もそのひとりです。
戊辰戦争の際には「白河口の戦い」により天守相当の「御三階櫓」が焼失、落城しますが、平成3年(1991)に江戸時代の古絵図に基づき復元されました。
【身障者用駐車場・多目的トイレ・スロープあり。ただし、本丸は階段あり不可。】
■参考リンク:白河市>小峰城跡