大井俣窪八幡神社
大井俣窪八幡神社は、山梨県山梨市の神社。檜皮葺の本殿は武田信玄の父・信虎が造替したもので、その他「日本最古の木造鳥居」はじめ境内外の建造物の多くが国重要文化財に指定されています。清和天皇の勅願により貞観元年(859)に宇佐神宮を勧請したのが始まりといい、甲斐源氏の崇敬を集めました。
旅行先について
地図
旅行先の概要
御祭神 | 誉田別尊、足仲彦尊、気長足姫尊 |
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所在地 | 山梨県山梨市北654 |
交通 |
JR中央本線「山梨市駅」からタクシーで約10分。 中央自動車道「勝沼IC」から車で約30分。 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 神社境内に砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 大井俣窪八幡神社 |
連絡先 | 大井俣窪八幡神社 0553-23-5390 |
歴史・由来
大井俣窪八幡神社は、山梨県山梨市の笛吹川沿いにある旧県社で、御祭神は誉田別尊(応神天皇)、足仲彦尊(仲哀天皇)、気長足姫尊(神功皇后)です。
社殿によれば、貞観元年(859)、清和天皇の勅願により、東国鎮護のために宇佐八幡から三神を音取川(笛吹川)の中島・大井俣の地に勧請し、「大井俣神社」を称したのが始まりとされています。
その後水害で流されたため、康平年間(1058-65)に甲斐源氏の祖である源義光(新羅三郎義光)が現在の窪の地に遷座させたといい、以来「窪八幡神社」と称されるようになります。
平安時代の『延喜式』神明帳に載る古社「大井俣神社」は当社のことではないかといわれており(一説に山梨市小原西の「大井俣神社」とも)、中世に入るとこの一帯は「八幡郷」とされ、甲斐源氏の崇敬も篤く、社参や社殿の造営がしばしば行われています。
本殿は応永17年(1410)に甲斐国の守護大名・武田信満が再建したといいますが、永正13年(1516)に駿河国の守護大名・今川氏親の甲斐侵攻により社殿の多くを焼失しており、境内の建造物の多くはこの時期以降に復興されたものとなっています。
すなわち、永正16年(1519)、武田信玄の父にあたる武田信虎により本殿が造替され、弘治3年(1557)には武田晴信(信玄)が信州出陣に先立ち、家臣の甘利昌忠に命じて壁面に金箔を押したといい、昭和の解体修理では「永正十六天己卯三月」と記した墨書が発見されています。
また、拝殿は檜皮葺の桁行11間(約20メートル)、梁間3間(約5.5メートル)という横方向に長大な建物で、形状が特異なことから庁屋(社務所)として使用されていたとみられていますが、古記録には天文22年(1553)に武田晴信(信玄)が信濃の村上義清攻略の際、祈願成就のために造替したとあり、小屋束からは弘治3年(1557)の墨書が発見されているものです。
また、境外参道(公道)に建つ「大井俣神社」の扁額を掲げる両部鳥居は、天文4年(1535)に武田信虎が42才の厄年にあたり境内の石反橋とともに奉納したもので、杉材で造られた「日本最古の木造鳥居」として知られています。
以上の本殿、拝殿(庁屋)、鳥居、石反橋をはじめとして、神門、摂社若宮八幡神社拝殿、同本殿、末社高良神社本殿、末社比咩三神社本殿、末社武内大神本殿、鰐口の11件の建築物及び工芸品が国の重要文化財の指定を受けており、境内は貴重な文化財の宝庫となっています。
車椅子で旅行するポイント
周辺の名所・観光スポット
笛吹川フルーツ公園
果樹王国・山梨を象徴するフルーツをテーマとした県立の都市公園。園内にはトロピカル温室やフルーツミュージアム、足湯などがあるほか、山の中腹に位置するため甲府盆地や裏富士の景色を一望できる。また、金田一耕助が活躍する推理小説『犬神家の一族』などで有名な横溝正史の書斎を移築した「横溝正史記念館」も開館している。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープ・エレベーター・点字ブロックあり。くだもの館・トロピカル温室は障害者手帳提示で本人及び介助者1名まで無料。】
■参考リンク:山梨県立笛吹川フルーツ公園