多度大社

2014年3月1日神社

多度大社は、三重県桑名市にある伊勢国二の宮とされる古社です。「上げ馬神事」といい、人馬一体となって断崖を駆け上がる勇壮なお祭りで知られます。天照大神の皇子・天津彦根命を本宮に、その子の天目一箇命を別宮に祀り、伊勢神宮との両参りで栄えました。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

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御祭神 【本宮】天津彦根命、【別宮】天目一箇命
所在地 三重県桑名市多度町多度1681
交通 養老鉄道養老線「多度駅」から徒歩約25分、又は桑名市コミュニティバスKバス(多度ルート)経由で約5分、「多度大社前」下車。
東名阪自動車道「桑名東IC」から車で約15分。
拝観料 無料
駐車場 神社石段下に観光協会の「多度大社前駐車場」(収容台数:40台)【身障者用区画・トイレ併設】、多度稲荷神社・多度観音堂脇に神社の「多度大社・豊明殿駐車場」(収容台数:40台)あり。ともに舗装済で平日無料(祭礼日など有料の場合あり)。
URL
連絡先 多度大社 0120-37-5381

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歴史・由来

多度大社は、三重県桑名市に鎮座し、平安時代の『延喜式』神名帳に「名神大社」として載る古社、伊勢国二の宮です。

社殿裏手の多度山を神体山とし、雄略天皇の御代に創建されたと伝えられており、天照大神の皇子・天津彦根命を本宮「多度神社」に、その子・天目一箇命を本宮と隣り合う別宮「一目連神社」に祀っています。

奈良時代の天平宝字7年(763)、万願禅師によって境内に神宮寺が建てられ「多度大菩薩」と呼ばれましたが、今に残る延暦20年(801)の『多度神宮寺伽藍縁起資財帳』(国重要文化財)によれば、その際多度の神が「神身を離れんがため、三宝に帰依せんと欲す」、すなわち、罪業を消滅させるために神である身を離れて仏門修行したいと託宣したとあり、これは我が国における神仏習合のはじまりを物語る重要史料とされています。

平安時代、多度神宮寺の僧侶は伊勢国分寺に准じる扱いとされたほか、歴代天皇や伊勢平氏、中世には国司・北畠氏の保護により隆盛し、室町時代末には70もの堂宇と300人以上の僧侶を擁する大寺院になりますが、元亀2年(1571)、伊勢長島の一向一揆が織田信長に敵対して多度大社で信長調伏を行ったため、社殿は神宮寺ともども兵火にかかり灰燼に帰してしまいます。

江戸時代に入ると、慶長10年(1605)に桑名藩主・本多忠勝により社領の寄進や社殿造営が行われてようやく再興が図られ、のち庶民のお伊勢参りが盛んになると、御祭神が天照大神の子孫であることから「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」とうたわれて、伊勢神宮と多度大社の両参りの風習で賑わうようになります。

また、一目連神社の神は片目の竜神の姿でしばしば遊行して暴風雨を起こすとされ、転じて近世には雨乞いの参詣も盛んであったことが、民俗学者・柳田國男の『一つ目小僧その他』にみえています。

多度大社の5月の例祭は「多度祭」と呼ばれ、なかでも南北朝時代の暦応年間(1338~1341)に始まったとされる「上げ馬神事」は、武者姿で騎乗した地元の少年たちが2メートル以上の絶壁を人馬一体となって駆け上がり、上がった頭数をもってその年の農作物の豊凶を占うという特徴的な神事として知られています。

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車椅子で旅行するポイント

多度大社【1】多度大社表参道。左手に観光協会駐車場と多目的トイレはあるが、参道が階段で車椅子不可のため、車両で神社駐車場へとさらに進む。
多度大社【2】表参道から100メートル東、稲荷神社・観音堂の脇が神社駐車場。ここから舗装路を通って境内神楽殿前の車祓所まで車で進入。
多度大社【3】多度大社境内の神楽殿付近。玉砂利敷で概ね平坦。駐車車両は車お祓い待ちのもの。左手奥の鳥居から車椅子で本宮へ。
多度大社【4】鳥居を抜けると左が階段路、右がスロープになっている。右のスロープを直進して本宮へ。
多度大社【5】多度大社本宮(手前)、別宮(右手)。橋を渡ると玉砂利敷で、社殿正面に階段はあるが賽銭箱は階段下に置かれている。



多度大社境内図

周辺の名所・観光スポット

国営木曽三川公園

木曽川、長良川、揖斐川の「木曽三川」下流域一帯に広がる日本最大の国営公園。いくつかのエリアに分かれている中で、桑名市内には「カルチャービレッジ」があり、多目的運動場「輪中ドーム」のほか、霧のミストの散策路「輪中ゾーン」、大型滑り台のある「山のゾーン」などが整備されている。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープあり】

■参考リンク:国営木曽三川公園カルチャービレッジ

このページの執筆者
@tabisora110