静岡浅間神社

静岡浅間神社

2019年12月8日神社

静岡浅間神社は、静岡県静岡市葵区にある神社で、式内社・駿河国総社です。山腹に古墳が残る鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡県の県名の由来ともいわれます。江戸時代には徳川家の崇敬を受け、高さ25メートルの浅間造りの大拝殿をはじめとして、多くの建物が国の重要文化財に指定されています。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神 神部神社:大己貴命
浅間神社:木之花咲耶姫命
大歳御祖神社:大歳御祖命
所在地 静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1
交通 JR静岡駅からしずてつジャストラインバス(安倍線または美和大谷線)経由で約8分、「赤鳥居 浅間神社入口」停留所下車
新東名高速道路「新静岡ICから車で約15分
拝観料 無料
駐車場 正面鳥居右手に舗装済みの無料駐車場(普通車80台)あり
URL
連絡先 静岡浅間神社 054-245-1820

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歴史・由来

静岡浅間神社は、静岡県静岡市葵区にある神社で、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の3社からなっています。

鎮座地の賤機山(しずはたやま)は明治時代に誕生した静岡県の県名の由来とされており、その山腹には国史跡で古墳時代後期のものとみられる直径32メートルの円墳「賤機山古墳」が残されています。

神部神社は崇神天皇の時代、大歳御祖神社は応神天皇の時代の鎮座とされ、ともに平安時代の『延喜式』に載る式内社であり、ことに神部神社は駿河国総社として位置づけられました。
また、浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮から分祀されたものです。

後の徳川家康(竹千代)がこの神社で元服したことから、江戸時代には徳川家の崇敬を受け、家康自身も戦火で焼失した社殿の再建を行っています。

現在の社殿は江戸時代の文化元年(1804)以降に順次再建されたもので、高さ25メートルの浅間造りの大拝殿をはじめとして、多くの建物が国の重要文化財に指定されています。

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車椅子で旅行するポイント

静岡浅間神社_1.jpg 【1】静岡浅間神社の石鳥居前。車道を挟んで狭い歩道のすぐ先が楼門だが、右手に曲がると駐車場がある。
静岡浅間神社_2.jpg 【2】楼門の右手に参拝者無料の舗装駐車場がある。駐車場外周には少彦名神社、玉鉾神社があり、さらに大拝殿もすぐ横に位置する。
静岡浅間神社_3.jpg 【3】回廊の東(正面)または南の門からは段差なく内側に入れる。
静岡浅間神社_4.jpg 【4】静岡浅間神社の大拝殿。周囲は玉砂利が敷かれ、舞殿にぶつかる楼門からの参道には石畳が敷かれている。
静岡浅間神社_5.jpg 【5】境内には舗装された車道が通じているので移動はしやすい。せんげん茶屋脇トイレは身障者用ではない。
静岡浅間神社_6.jpg 【6】八千戈神社脇から賤機山に向かう参道は石段があるので移動は不可となる。


静岡浅間神社境内図

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境内配置図 [凡例]
浅間神社本殿 神部神社本殿 大拝殿 舞殿 楼門 神厩舎 御神水(井戸) 石鳥居 少彦名神社 玉鉾神社 社務所 浅間神社会館 トイレ せんげん茶屋 斎館 神池 宝物庫 赤鳥居 大歳御祖神社 静岡市文化財資料館 八千戈神社 賤機山古墳 麓山神社 静岡県道27号井川湖御幸線 静岡駅 新東名高速道路新静岡インターチェンジ

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

静岡浅間神社の境内は舗装路も多く、駐車場模型台にあるので移動は容易である。ただし、メインの建物の大拝殿前などは玉砂利が全面に敷かれていて、他の場所のように舗装はされていない。また、賤機山に登る参道も石段であり、賤機山古墳や麓山神社の参拝は不可である。せんげん茶屋隣接の境内トイレ棟には身障者用はなく道路反対側の西草深公園内にある。、

周辺の名所・観光スポット

登呂遺跡

「登呂遺跡」は、静岡県静岡市にある弥生時代の遺跡で、弥生時代の大規模な水田や、竪穴式住居、高床倉庫の跡などが発掘されています。我が国における水田稲作農耕の起源を解き明かすものとして国特別史跡に指定されています。現在は遺跡と一体の「静岡市立登呂博物館」が開館しており、さまざまな出土品や建物の復元模型などを展示しています。
【身障者用トイレ・駐車場・車椅子貸出あり。障害者手帳提示で本人および介助者1名無料。】

■参考リンク:静岡市立登呂博物館

このページの執筆者
@tabisora110