篠村八幡宮

篠村八幡宮 神社
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篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、京都府亀岡市に鎮座する神社です。元弘3年(1333)、足利高氏(尊氏)が鎌倉幕府打倒の兵を挙げた場所として知られ、境内には「旗立楊(はたたてやなぎ)」や「矢塚」といった史跡が残されています。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
所在地 京都府亀岡市篠町篠八幡裏4
交通 京都縦貫自動車道「篠IC」から車で10分
JR嵯峨野線「馬堀駅」から京阪京都交通バス(アルプラザ前行き)乗車10分、「篠村八幡宮前」停留所下車
拝観料 無料
駐車場 境内及び北東側の旧山陰街道沿いに無料駐車場あり
URL
連絡先 八幡宮 0771-25-6675

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歴史・由来

篠村八幡宮は、京都府亀山市に鎮座する神社で、誉田別命を祀っています。平安時代の延久3年(1071)、源頼義が河内国(現在の大阪府)の誉田八幡宮を勧請し、この社を創建したと伝わります。

元弘3年(1333)、足利高氏(尊氏)が戦勝祈願の願文を納め、鎌倉幕府打倒の兵を挙げた場所としても知られており、境内には源氏の白旗を掲げた「旗立楊(はたたてやなぎ)」、武将たちが社前に献じた鏑矢(かぶらや)を埋めた「矢塚」といった史跡が残されています。

『太平記』にも「当家尊崇の霊神にて御坐しけり」と足利高氏が祈願するようすが描かれており、宿願を果たした高氏をはじめとして、以後の室町幕府歴代将軍からも社領の寄進が相次ぎました。

また、江戸時代初期に書かれた『川角太閤記』によれば、天正10年(1582)の「本能寺の変」の直前、明智光秀が「亀山の東の紫野(篠)」まで進軍し、この地で軍議を開くと、斎藤利三ら重臣5人に織田信長討伐の意思を示したといい、光秀の子孫という明智滝朗の著作『光秀行状記』には、篠村八幡宮の「境内で密議を図った」とあります。

江戸時代に入ると、寛永年間(1624-43)に亀山城主・菅沼定芳によって社殿が改修され、以後も歴代城主の庇護を受けており、現在は境内全体が「足利高氏旗挙げの地」として亀岡市史跡に、所蔵の『足利高氏願文』が京都府有形文化財に指定されています。

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車椅子で旅行するポイント

篠村八幡宮-1.jpg 【1】篠村八幡宮の表参道入口には4段の石段がある。右手の舗装道に迂回すれば自動車のまま移動できるが、幅員狭小につき運転には要注意。
篠村八幡宮-2.jpg 【2】篠村幼稚園前の道路から境内に入ることができ、自動車は奥に見える境内駐車場に駐車できる。
篠村八幡宮-3.jpg 【3】篠村八幡宮の境内。参道部分は石畳で平坦になっており、拝殿の周囲までつながっている。
篠村八幡宮-4.jpg 【4】拝殿裏手にある本殿には4段の石段があるが、両側に金属製の手すりが付けられている。
篠村八幡宮-5.jpg 【5】境外北東側の旧山陰道沿いにも砕石を敷いた無料の神社専用駐車場がある。
篠村八幡宮-6.jpg 【6】旧山陰道沿いの駐車場向かいには旗立楊が立っている。
篠村八幡宮-7.jpg 【7】旧山陰道沿いの裏参道に階段はなく、石畳が敷かれ平坦である。



篠村八幡宮境内図

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境内配置図 [凡例]
篠村八幡宮前バス停 京都府道402号王子並河線 公園 旗立楊 八幡会館 裏参道 表参道 祖霊社 社務所 乾疫神社 本殿 拝殿 祓戸社 手水舎 東屋 土俵 矢塚 稲荷神社 篠村幼稚園 天満宮 皇大神宮・豊受大神 住吉神社・春日神社・日吉神社 秋葉神社・愛宕神社 古札納所

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

篠村八幡宮の表参道には石段があるが、脇道から境内駐車場まで自動車で移動することが可能である。境内に特段のバリアフリー設備はないが、参道部分には石畳が敷かれ平坦で、同様に境外北東側の駐車場から裏参道を通るルートにも段差はない。本殿の登り口は石段だが金属製の手すりが付いている。

周辺の名所・観光スポット

出雲大神宮

「出雲大神宮」は、丹波国一宮として崇敬される京都府亀岡市に鎮座する古社で、「元出雲」とも通称されています。境内には古墳や磐座が存在するほか、鎌倉時代に造営され、足利尊氏が修築した檜皮葺の本殿は国指定の重要文化財です。【境内西側にスロープあり】

■参考リンク:

出雲大神宮
出雲大神宮は、京都府亀岡市にある式内社で、丹波国一宮でもあります。社伝によれば、出雲国にある杵築大社(出雲大社)はこの神社から勧請されたものとされ、「元出雲」と通称されています。境内にある檜皮葺の本殿...
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